昨日、8月15日(月)77回目の終戦記念日でした。正午には武道館で天皇陛下と皇后陛下の臨席の下、1分間の黙禱が多くの犠牲者に捧げられました。私は77年前のその日10才、千葉県我孫子市の4件の家さくのうちの一つに一番上の姉と疎開していました。この家は父が1936年結核を患って亡くなった時の保険金で造った家だそうで保険金がが幾らだったのか、何故我孫子だったのか母に聞いたことはありませんでした。姉は我孫子小学校の先生で私は生徒で、沢山の思い出が残る日々でした。1945年正午、玉音放送を姉と一緒に聞きました。(戦争は終わったんだ!)何故か家の外の窓越しからでした。それから思いもかけぬ長い長い日々を過ごしました。多くの犠牲者によって与えられた時を振り返り私も黙祷を捧げました。その後姉と共に母がいた東京上野に戻り、台東区立桜ケ丘小学校に転校卒業、卒業式には「仰げば尊し」の二番を私がアルト、ソプラノの人と二人で歌いました。メロディーも覚えていて今でも歌えます。上野の家は駅から5分、今もある上の警察署の前でした。母は面倒見が良くて若いお巡りさんがいつも出入りしていました。駅前の大きな交差点で知り合いの交通課のお巡りさんが身振り手振り交通整理をしている姿はとても恰好良かったです。
靖国神社と上野駅、二葉百合子の「九段の母」という歌があります。
「①上の駅から九段まで かってしらないじれったさ 杖を頼りに一日がかり せがれきたぞや会いに来た
 ②空をつくよな大鳥居 こんな立派なおやしろに 神とまつられもったいなさよ 母は泣けます嬉しさに
 ③両手あわせてひざまずき 拝むはずみのお念仏 はっと気づいてうろたえました せがれ許せよ田舎者」
この歌を思い出すたびに泣けてきます。この歌から私は軍歌が好きになりました。「戦友」「麦と兵隊」「暁に祈る」哀愁を感じる歌がいいです。何故ウクライナで戦火が上がっているのでしょうか、人に欲望が存在する限り戦争は亡くならない!という新聞記事を見ました。そうなんでしょうか、話し合いで解決は出来ないのでしょうか、ただ・ただ、戦争のない平和な日々をこい願うばかりです。

行燈に絵を描く-3


2022年08月16日更新