10月2日(木)朝、天草の友人の訃報がありました。
天草に来るようになってからの十数年に亘る交流でしたが、熊本の病院に入院し治療を続けていましたが、帰らぬ人となりました。私は、9月27日帰宅の際に天草空港のポストにお見舞いの絵手紙を投函し、今度は会えなかったけど次回には天草できっとお会いしましょうね!と書き送りましたが最後になりました。常に前向きで長年ご主人の介護をしながら、天草の自然を愛し、人を愛し、地域の為に尽くしてきた人でした。前にこの欄でもご紹介させていただきましたが、「心の宝 いのちの輝きをありがとう」という本を出版され、ご主人を介護のしながらの日々を赤裸々にユーモアを交えながら綴った本に深い感銘を受けました。又、熊本の新聞にもたびたび投稿し私も何度か読ませていただきました。最近は7月13日の「祈りに換えて」という記事が最後でしたが、これを読んで彼女が自分に残された時間を推測しているかのように感じられて驚愕し、この記事全文を和紙にしたため絵を添えて送り、望みを持つように励ましました。その一部を抜粋させていただきます。
「別れは必ず訪れる。受け入れ、祈りに換えてほしい」遠方にいる二人の子どもへの絵手紙に言葉を添えました。心のショックを少しでも和らげてやりたいとの思いからです。化学療法の副作用と闘いながら、一日を無事に終える日々を送っています。在宅介護13年目になったアルツハイマー病の夫は、私と離れて施設で穏やかに過ごしています。今まで幸せ過ぎたので、今日という日があるのだと思えるようになりました。・・・中略・・・病んで初めて分かることがあります。病んでいるからこそ、伝えたいことがいっぱいあります。話を聞いてほしいと思います。人との会話に心が安らぎます。誰かのこえを聞けるだけで、心が救われるのです。入退院には弟や友人の車で移動します。窓の外の風景や、降り注ぐ光や、風の心地よさにうっとりします。自宅では鳥のさえずりや樹木の緑が心に染みて、自然と一体になったような気分です。自然に身を委ね、周りの人たちに感謝し、子どもたちが力強く前進してくれることを願いながら、「今できることは何だろう」といつも考えています。文字はまだ書くことができます、夫が施設で穏やかに過ごせますように、私と同様、痛みと闘っている人たちも、穏やかに過ごせますように。そして周りの人たちが穏やかな日々を送れますように、思いは尽きません。
私は、夜更けてから身を清めお香を焚いて、心を込めて「般若心経」を書きました。窓の外が白々と明けてきました。
彼女は永遠に安らかな眠りにつきましたが、私の心の中であの爽やかな笑顔は消えることはありません。謹んで感謝をし、ご冥福をお祈りいたします、合掌。
2014年10月03日更新