昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲から、今年は69年の月日が流れました。3年を経過した2011年の東日本大震災の陰で人々の記憶の彼方に忘れられようとしています。
69年前の3月10日、夜中の00時08分、房総半島の沖合からアメリカ軍のB29.344機が低高度で東京下町に侵入、今の江東区、墨田区、台東区地域を波状絨毯爆撃し、多くのを犠牲者が出ました。縁者が引き取った遺体二万体、無縁仏及び行方不明者八万八千体。近隣の沢山のお寺に供養塔が建てられて今でもお参りの人々の跡が絶えません。その犠牲者の中に当時台東区浅草で「土手の加藤」という材木屋を手広く営んでいた加藤の本家があり、義母の両親と姪が含まれていました。義母も当時7歳だった三男の良三ちゃんをおぶって逃げ迷ううちに背中の頭巾に火が燃え移り、良三ちゃんはその1週間後に亡くなりました。主人と弟は学童疎開で岩手県の鳴子温泉に疎開していましたので難をのがれました。今、上野の山の谷中霊園にある加藤家のお墓には両親と良三ちゃん、主人の正昭が眠っています。このお地蔵さまは雷門のある浅草寺の東京大空襲犠牲者の供養塔です。
2014年03月10日更新