鶴見俊輔さん。一度はお聴きになったお名前だと思います。ここで皆さんにもう一つ聴いていただきたいお話があります。鶴見俊輔氏と上野博正さんと和田静子さんとのお話です。
上野博正さんは白鴎高校の同期生、私は彼とは全然交流もなく成績の良い人だ、位の印象ですが、お顔は覚えています。和田さんと上野さんは、何かのきっかけで親しくしていました。上野さんは浅草の貧しい家に生まれましたが高校を卒業後、アルバイトをしながら医者になり、新宿で「メダカ診療所」を開設、又、新内の名取、「思想の科学」の社長など、ユニークな人柄をいかんなく発揮、多くの伝説を遺して2002年67才で膵臓がンで亡くなられたそうです。鶴見俊輔氏とは「思想の科学」の雑誌の編集を通じての生涯にわたる師弟関係で厚い信頼関係にあったそうです。
和田さんは母親の介護の為、博報堂を退職母を見送ったのち、自分の人生を自分の為に生きようと10年の準備期間ののち、鹿児島県・甑島に移住、朝日新聞15回の連載で手記が掲載され「島で老いる」が本になりました。「思老期からの出発・甑島に開く、ついのすみか」朝日新聞論説委員・橋爪竹一郎著」です。彼からこの話を聞いた鶴見俊輔氏は和田さんの生き方を絶賛したそうで、ここからおお話が始まります。和田さん56歳の写真です。つづきます。


和田さん56才




2023年05月14日更新