1月8日、従姉妹の告別式が執り行われました。葬儀を終えて次女の鈴木節子さんが川崎に帰り報告を受けました。

故人は生前から、自分の最後の時の事を考えていたのです。写真を用意し、90歳の生涯を感謝し、会葬の方達には紅白の手拭いに「天寿」ののし紙、お酒を1本つけて、とありました。又、子供達3人の遺族のご挨拶も添えられています。

(「生んでくれて、育ててくれてありがとう) 大津港で生まれ育った母。水戸女学校時代は朝早く起きて身支度をし、自分でお弁当を作っていたのだと聞きました。気丈で常に前向き、そして人一倍の頑張り屋。そのような母だったからこそ皆をいつも温かな光で包み込み、正しい方へ導いてくれたのでしょう。子供を育て、やがて孫を可愛がり・・・家族を思いやる気持ちの強いこの母なくして、私達の穏やかな暮らしはありませんでした。   中略   別れは寂しいかぎりですが、母はこれから自由になった身体で好きなことが出来るのでしょう。習字に民謡、和裁に洋裁と多趣味でしたので、また存分に楽しんで欲しいと願ってやみません。母 渡邊しめ は、平成25年12月30日、満90歳にてその生涯をとじました。 後略 )

私は、溢れる涙をこらえることが出来ませんでした。お世話になった従姉妹の立派な生涯に感激し、自分のこれからの長くは無い時間を、どう生きるべきかどう死するべきか、多くの教訓を示唆されたような気がします。ただただ、感謝と共に安らかに永久の眠りに就かれますよう、ご冥福をお祈り致します。 合掌

この記事はご遺族のご了解を得て掲載させていただきました。

従姉妹の告別式、後日記-3

 

 

2014年01月09日更新