天草から帰ってきて気になっていた中学時代からの親友・荻原照子さんに電話をいれました。「変わりない?」と聞いたところ「婿さんが亡くなったのよ!」と云われ愕然とし返す言葉に窮しました。荻原さんの一番下の娘さん・令子さんは二人の子供と一緒にご主人の仕事の関係で長くアメリカ暮らしをしていますが、ご主人が3年くらい前から白血病に罹り日本で骨髄の移植などの治療を受けていました。看病のため、時々日本に帰ってきていた令子さんは今年の1月のある朝病院の近くに借りていた部屋で冷たくなっていました。前の夜、荻原さんの家を夜食のお握りを持って元気に出掛けたそうです。その後、高校生の長男はアメリカに帰り、小学2年の美亜ちゃんは荻原さんの家から日本の小学校に通いお友達も沢山出来て元気に暮らしています。荻原さんも数年前に大きな手術をし体力も弱っていますが、孫の面倒を見ながらボランティアにも頑張っている日々でした。そして、7月24日、令子さんのご主人も令子さんの後を追うように旅立たれました。令子さんが亡くなった時も私は「何か出来ることがあったら遠慮なく云ってね!」と云いましたが吾ながら空しく虚ろな言葉でしかない、と感じました。

思い返せば、私の父も10歳の長姉をかしらに末の3歳の私まで5人の子供を遺して昭和13年36歳で結核で亡くなりました。父の無念さ、母のその後の苦労、最近とても父と母を恋しく懐かしく、胸の痛む思いで偲んでいます。

荻原さんが長生きをして孫達の成長を元気で見守ることが出来るようにと、祈っています。 合掌

 

姉の20年忌-1

 

2013年08月02日更新