私は、東京上野の生まれ、中学は戦後の混乱の中、上野の山に新設された「台東区立・竹の台中学」高校は浅草七軒町の「都立・白鴎高校」に進学しました。クラス編成で5組となり間もなく新しい6人のグループが出来、途切れながらも今でも親しくしています。その中に、浅草から通ってくる木下富子さんがいて、彼女に連れられて初めて歌舞伎を観たのが、私と歌舞伎との出会いでした。その時は11代市川団十郎(今の海老蔵の祖父)の「忠臣蔵」を昼夜通しで観たのが今でも色鮮やかに甦ってきます。まだ、9代目海老蔵を襲名していましたが「海老さま」と云われ端正な姿形の良い役者さんでした。その、「海老さま」の、紆余曲折を経て奥様となられる女性(文中、光乃の名前)に関して、作家の宮尾登美子さんが平成11年新潮文庫から「きのね上下」を刊行しました。千葉の貧農の家から女中奉公にあがり、あまたの誹謗・中傷を浴びながらも屈せず主人に尽くした一人の女性の生涯を綴った作品です。

今年2月3日、67歳での突然の訃報に接し、宮尾登美子さんが「新潮7月号」に「柝の音の消えるまでー追悼市川団十郎丈」と題して追悼文を寄せられました。今まで話せなかったこと、刊行に至るまでの周囲の軋轢、脅迫、嫌がらせ等は、歌舞伎に寄せる又は主人公光乃に寄せる作者の熱い思いが、困難を克服したとの事、なかでも日蔭の身である光乃がたった一人で団十郎を出産し、駆けつけた助産婦さんが執筆当時九十幾つかで健在でおり、メモ・録音なしで取材に応じてくれ、その時の様子を「この世のものとも思えぬ程の荘厳」と心を打たれ思わず二人に向かって合掌し深く一礼した、との記事には本当に感動しました。

先日来、団十郎の姿は無くても、長男の海老蔵の華麗な姿を観るにつけ様々な思いが胸中を去来し、芸の上で見事な大輪の花を咲かせ役者として充実した素晴らしい人生を全うした団十郎さんのご冥福をお祈りすると同時に、宗家成田屋を担うべく海老蔵さんの益々の研鑽を願っています。 合掌

 

十二代市川団十郎丈を悼む

 

2013年06月22日更新