昭和13年3月25日、それは今から丁度75年の前の事です。一番上の姉が10歳、一番下の私が3歳の今日、5人の子供を残して父が肺結核で千葉大学付属病院で亡くなりました。36歳でした。母も36歳、5人の子供を抱えて母の苦労が始まりました。朝起きて「父の祥月命日」だと思い一人物思いに耽りました。母も今年27回忌の法要を済ませ感慨深いものがあります。姉に電話をして、父の臨終の様子を訊ねました。姉達は下谷桜が丘小学校の修了式でしたが、家に帰され当時お手伝いをしていてくれたお信さんに連れられて、私も一緒に病院に連れて行かれ、姉は酸素マスクをしている父の顔をしっかり覚えていて意識もしっかりしていて、「みんな、仲良くするんだよ!」とはっきりと云ったそうです。私は鼻に綿を詰められた父の顔をおぼろげに覚えています。涙がこみ上げてきます。

今、父の2倍以上の命を与えられ生かされている事を考え、しっかりと手を合わせ父のそして母に感謝をし冥福を祈らずには居られません。

天草の満開の桜の下に佇み、しっかりと毎日を生きようと思いました。

 

昭和13年3月25日

 

2013年03月25日更新