和田さんのリースに添えられた手紙があります。
「うちの庭の月桃(げっとう)の実は、いま朱一色、十月、長い夏の終わりです。月桃の花をご存じですか?六月、梅雨時、乳房に似た白い花が房状に垂れて咲きます。七十二年前の六月、沖縄戦の終末期、多くの住民は洞穴(がま)に隠れて息をひそめていました。赤ん坊が泣くと日本兵に殺されたり、殺せ、と命じられたり、抱いて出て行けと追い出されたりしました。月桃の咲く梅雨の森で赤ん坊の口を塞ぎ、自らも命を絶った若い母親もいました。同じような証言が沢山あります。月桃の花が咲くと、私はいつも赤ん坊を抱いた若い母親の姿を想い描いて目をつむります。」と、書かれています。
     沖縄戦 「月桃の 花の乳房の 垂る森で
                      乳欲りて泣く 児殺めしという」
                          和田さんが(朝日新聞歌壇に投稿した短歌です)

和田静子さんの手紙
2017年11月02日更新