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「一谷嫩軍記」後日談
「一谷嫩軍記」後日談
熊谷直実が向かった先は西方弥陀の国であり、小次郎の菩提を弔う旅に出たのでした。そして、法然上人のもと、名前も(法力房蓮生)と改めて全国を行脚して多くのお寺を建立したそうです。出身地の埼玉県熊谷の駅前には、北村西望作の馬に乗ったブロンズ像が建立され、建久2年(1207)熊谷寺にて没したとされ、遺言により京都の総本山光明寺の念仏三昧堂に安置されました。又、高野山には、直実と敦盛のお墓が並んで建てられているそうです。去年、歌舞伎座で「義経千本桜」で観た時は、義経・坂田藤十郎、直実・吉右衛門、相模・坂東玉三郎、良かったのですが今回の舞台は、熊谷直実だけに焦点をあててじっくり時間を取ってあります。又、市川猿之助の女形をあまり見たことがありませんでしたが、「伊勢音頭恋寝刃」の仲居(万野)も男を感じませんでした、身のこなし、声の出し方、視線のやりばが自然でした。花道での引っ込み、幸四郎も直実の心情を汲んで、の演技に涙なしでは観られませんでした。
2017年04月08日更新
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