沖縄の和田静子さんは高校時代の部活で美術を専攻していました。私はその頃卓球に夢中でした。当時の美術の先生は橋本興家先生で、今でもお顔もはっきりと思い出します、当時お幾つ位だったのでしょうか、30代か40代、の感じでいましたが、今年8月脳梗塞で亡くなられていました。当時まだお若かったのですね、かなりの有名人でした。享年93。大正13年から昭和31年迄、東京府立第一高女(現都立白鴎高校)で教鞭をとった、とあります。私達が高校に在籍したのは昭25年から28年迄、木版画家で日本版画協会理事長を務められたそうですが、版画のイメージはありませんでした。上野の家から歩いて15分位、浅草七軒町、時計台のある校舎、曽野綾子さんはじめ沢山の先輩がいます。高校の身体検査で「肺浸潤」の疑いを受け暫く療養を続けて、受験勉強が疎かになり受験したかった「津田塾大学」の受験を諦めたほろ苦い経験等思いだして、興家先生のご冥福をお祈り致しました、合掌。
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