おはようございます。


地域おこし協力隊の北野です。


新和町歴史探訪第六弾。


先週、新和町の歴史研究家 平田さんとともに


新和町大宮地地区にある



「平家城(へいけんじょう)」



の史跡調査を行ってきました。



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源氏と平氏の最終決戦である「壇ノ浦の戦い(1185年)」以降


九州各地に平家の落人が流れてきたといわれている


「隠れ里」がたくさん残っています。


熊本では五家荘が平家の里として有名ですが


実は天草にも平家の落人とそれを追う源氏の軍勢が戦った!


と言い伝えられている地がいくつも残されています。


各地の伝承をもとにした推測によると


天草に逃れてきた平家の落人と源氏の追っ手は


まず倉岳町棚底で戦となり


一部は御所浦へ避難。


もう一部は、亀場で再び戦をしたあと山越えし


新和町の大宮地地区へ逃れ、砦と里を築いたと思われます。


そこが「平家城」という地名で、現在まで残ってきたそうです。


そして大宮地川(当時は海だった)をはさんで


兵士の落人と源氏の追っ手は戦争をしていたようです。


ということで前回は源氏の砦だった、とされている「矢岳」を登山しましたので


今回は「平家城(へいけんじょう)」を調査しに行ってきました。



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平家城山頂から少しくだった原生林から分け入り


しばらく行くと段々になった石垣を発見。


平田さんいわく


石垣の幅が狭いので元々はお城の石垣として


つくられたものを、のちのち畑として活用したのではないか、とのこと。


山の下から攻めてきた源氏軍を左右から矢で迎え撃つため


山頂は真ん中が削られ谷間になっていました。



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15年前には、八畳ほどで高さ1メートルの石垣(屋敷跡)がのこっていた


そうですが、杉の植林により撤去され、現在はなくなっていました。


ただ、奥へ進むと似たような石垣がたくさん見受けられました。


お殿様が砦にしていただろう場所には巨石が転がり


まるで山賊の砦という様相でした。


当時は平家城山のほとんどが伐採されていて、とても見晴らしがよく


海をはさんで戦が行われていたのでしょう。


天草でも源平合戦が行われていたのだと考えると


遥か遠い歴史が身近に感じられて、とてもワクワクします(^^)/



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最後になりましたが、平家城山の途中には


「舟隠し」という登山道があります。


いざ戦争になった際、山の中腹に隠してあった舟を


この山道を滑らせて海におろしたのでは、ということです。


当時は竹などを敷いてあったのかもしれません。


現代の遊園地も顔負けの、最恐のスライダーですね(^_-)-☆


どうやらこの平家城山の中腹には


この「舟置き場」があり、石垣も残っているそうなので


また次回、探検してからご報告したいと思います。


地域おこし協力隊の北野でした☆

2019年05月15日更新
キーワード: 天草 新和町 平家 探検隊