こんにちは。


地域おこし協力隊の北野です。


本日は新和歴史探訪第四弾



「十万女(じゅまめ)さんのお屋敷跡調査」



の様子をお届けします。



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現在、新和町の歴史研究家である平田さんとともに


新和町に残る伝説や史跡の調査を行っています。


今回は、鎌倉時代後期に宮南地区を支配していたという


十万女さんの屋敷跡が、宮南地区の山中にあるということで


さっそく行ってきました。


平田さんも15年ぶりということで、記憶を辿りながらの探索。


もう何年も人が訪れていないようで、台風などの倒木で道が塞がれていましたが


何度も道に迷いながら1時間以上探し歩いて、ようやく石垣を発見!



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とても精巧に作られた石垣があちこちに。


なかには、高さ5メートル近い石垣が数十メートル続く場所も。


平田さんとともに周辺を歩きまわり、詳しく調べてみると


もしかすると、お屋敷を中心とした「山城」か「砦」だった可能性もあるそう。


それほどの強大な権力を持っていた、かもしれない


「十万女(じゅまめ)」さんとは。


鎌倉時代末期(1300年代)頃、高根(こうね)を支配していた女性がいた。


高根は現在の宮地浦から宮南地区にかけての名称だそう。


屋敷跡のすぐ近くの山頂は「いっしゅう様の峠」と呼ばれており


おそらく「十万女さん」と「いっしゅう様」は同一人物だったのではないか?


と興味がわいてきます。「いっしゅう様」は出家し、尼僧(にそう)だった


という伝説も残っているそうです。


↓の絵は、平田さんが描かれた当時の宮南地区と屋敷跡の想像図です。



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宮南地区にはこの近くに「二本木古墳」もあり


聖徳太子よりも古い時代から、この地に人々が住まい


生活をしていた痕跡が数多く残っています。


屋敷跡にも敷地内にお地蔵さまや無縁仏が残っており


近年まで地元の方が子々孫々とこの地を大切に守ってきたのだと


実感することができました。


平田さんから教えてもらわなければ知りもしなかった歴史。


このまま埋もれてしまうはずだった伝承に目を向け


こうして改めて調べなおすこと


残してゆくことの重要性に気付いた一日でした。


地域おこし協力隊の北野でした(#^.^#)

2019年05月15日更新
キーワード: 天草 新和町 宮南 鎌倉時代