こんにちは。


地域おこし協力隊の北野です。


本日は「新和町の歴史探訪」第二弾。



「天附(大多尾)の古墳群」



をご紹介します。


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上大多尾の天附に4基の古墳が残っている


という話を聞き、現在の様子を調査しに行ってまいりました。


写真は2001年当時のものです。


そして現在、大多尾地区の天附にあるという古墳を探しに行ってみると


道には草木が生い茂り、、しばらくは誰も訪れていない様相。


・・・・・・これ、見つからないかも!?


と一抹の不安を胸にいだきながら、藪の中を進んで行くと。



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あ、あった!


見つけました!!


行き止まりで海に出て、道を間違えたかなと思った矢先


左手の崖の上にキラリと光る看板。


這うように斜面をよじ登り、周囲を見渡すと。



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長い年月を経て、古墳群は落ち葉と樹木によりほとんど地面と同化し


わずかな外観を地表にさらすだけとなっていました。


これらの古墳は五世紀末につくられたと推定されています。


ちょうど、聖徳太子が活躍した時代です。


その頃、天草の東海岸に


棚底、宮田、栖本、大多尾、立を中心とする文化圏が形成され


その土地の豪族たちを埋葬したといわれています。


「天附」という名称は


「海女が付いた」ところという意味で


早くから人が住み、栄えた場所を指すのだそうです。


牛深の天附もそのとおりです。


ここの古墳は石で家を作り、その中に遺体を埋葬し


周りに石を積み、土で覆ってあります。


立地としては岬の先端にあり


横島や栖本・倉岳方面を一望できる


とても美しい場所に作られていました。


人間は太古から死者を敬い、大切に守り続けてきたのだと


実感した、歴史探訪第二弾でした。


地域おこし協力隊の北野でした(^◇^)


2019年01月28日更新