【セミの木】
このところ母の入院を機に、離れていた兄としばしば会うように
なりました。それぞれに家庭を持ち、別々に暮らしてきた期間の方
が長いわけですから、いつの間にか話題は子供の頃に遡ってしまいます。
兄妹して毎年の夏を過ごした祖父の家の裏山に、小さな神社があります。
その境内に栴檀の木が一本高く聳えていて、幹には常に五、六十匹の
蝉が群れています。昨年の墓参りの折、兄に誘われて確認に行ったのですが、
それはそれは見事なほどびっしりと蝉が止まっていて、ひとしきりの大合唱。
低い幹には油蝉、はるか上方には熊蝉。
数年から十数年の地中生活と僅か一週間の地上の命です。
脱いだ殻で何かがふっ切れるのでしょうか。
蝉時雨を間近に聴くとまるでサウンドシャワー。
聴くというより浴びると表現すべきでしょう。
子供の頃、兄とはあれだけたっぷりの時間を共有していたのに、
私は昨夏までその蝉の木を知らなかったのです。遠い夏の日、より
高い所に止まる臆病者の熊蝉を捕ろうと苦心賛嘆していた少年が確かにいたのに。
その少年に会いたいなと思いました。映画「フィールド・オブ・ドリーム」の中に、
主人公が時を越えて、キラキラした野球少年(青年)の頃の
父親に合うシーンがありますが、それと似た感覚です。
遠い記憶と今の想いが錯綜して未知の誰かの魂に触れてしまう----。
その誰かは、もしかして自分自身かしら。そんな気がします。