緑陰や蝶の白さのただならぬ (瀧春一)
この句に出会った時、感嘆の声をあげてしまいました。この三~
四年、特に梅雨の晴れ間、滴るような緑の中を、ひらひらと舞う白
い蝶がひどく気にかかり、幾度か吟じではみたものの、ひねる程に
感懐は遠のき、いささか情けなく思っていたからです。
通りを走る車の騒音や、隣家の子供の声、しきりに鳴き交わす雀
の囀りさえ一瞬かき消して、白い小さな蝶が、濃淡さまざまな青葉
の茂りを、静かに横切って行きます。凝縮された時間。自然界の持
つ美しい色彩が、束の間素晴らしい対比を見せてくれて、しばし見
とれてしまいます。例えば、春に咲く白山吹の清楚にして典雅なた
たずまい。真夏の渓谷、見上げる崖の繁みに毅然と咲く、一本の山
百合の灰白さ-----。緑中の白の美しさについては枚挙のいとまが
ありませんが、静と動、蝶の白さに動きが加わって、もしかして、ど
こぞの、使者かと尋ねたいくらいに、心惹かれます。あえて、蝶の種
類は問いますまい。しっかりと心に写しとったシーンは、いつでも
再生可能で、常にスタンバイの状態ですから、雑誌のほんの片隅に
掲載されていた前出の旬も、真っ先に目に跳び込んできて電流が駆
け抜けたのでしょう。小さいけれど、深い喜びです。
葉がくれにひらりと白き梅雨の蝶