読書を通し思い出すもの
私は、子供のころから家でじっとしているより、鞄を放り投げ友人の家を遊びまわり、休みの日は野山へ出かけ真っ暗になるまで外で遊んでいた。社会人になってもスポーツに明け暮れ、読書には全くの無縁というか興味すらなかった。
母もそのことには一向に無頓着で、あまり勉強についてガミガミと小言を言うこともなかった。母も戦時中の生まれ学問をろくに受けていない。子供に頑張れと言おうにも何を伝えればいいのか分からなかったというのが本当のところだったのかも知れない。
その母が4年前の7月に亡くなった。その年「庭の旅」という本を読み返した。翌年の母の初盆にお参りに来て下さる人のために庭を美しく整えよう。それが自分を大切に育ててくれた母への恩返しでもあるような気がした。
冬の寒さに中で庭のづくり、しだれ梅、椿、もみじ、ドウダンツツジ、やまぼうし等を植樹した。
それからというもの花に興味を持ちはじめ、洋ラン、クリスマスローズ、ブーゲンビリアなどを植樹し、今では時季の花を楽しんでいる。しかし花を育てるには本も多少は読む必要がある。そこで無縁の本、興味の無かった読書をするため本屋に通うはめになった。
そんな時、梶よう子さんの著書「一朝の夢」に出会った。松本清張賞受賞作品で、朝顔栽培が生きがいの中根与三郎という同心が宗観と呼ばれる武家と知り合い、朝顔を介して交流が始まるが時代は急展開を迎え井伊大老と水戸徳川家の確執に巻き込まれる。
今夜手にしている「柿のへた」も同じ梶よう子さんの作品。小石川御薬園同心の水上草介という植物の知識や探究心は豊富だがそのこと以外は少々鈍い。のんびりと草花を育て生薬の精製に勤める若者である。
その草介を中心に御薬園管理の芥川家の男勝りの娘千歳、南町奉行所の同心高幡啓五郎などの若者たちをいきいきと描く連作短編集。儚いながらも逞しく人と自然を素直に描写し、それを物語に上手く取り込み、植物や生薬の性質、漢方の奥深さや江戸の薬学を届けてくれます。
毎回、草介の周りに問題が起こります。植物を愛する草介は、園丁たちからも「水草どの」と呼ばれるほど弱々しい性質だが、物事の本質を見失わず問題を上手にやわらかく収め解決していく。
貧しいが絵の美味い少年を描く「二輪草」若者に金を騙され取られてしまった隠居の淋しさを描く「あじさい」など魅力的な話です。草花の柔らかな描写を背景に家族愛、友人愛など本当に大切な物を見失わないことを教えてくれる明るく柔らかな時代小説です。
読んでいるうちに、小さいころ、母の実家の五和町城ケ原の山々を母の温かい手にひかれ帰っていた時のことを思い出していました。四季の折々に野辺に咲く小さき花の名前や特徴を教えてくれた母であった。無学であったが優しい母であった。
秋の夜長、本棚から本を取出し読書にふけるのもたまには良いものです。