昨夜、大先輩のお通夜にお参りさせていただいた。
祭壇は花で飾られ式場にも溢れんばかりの花で飾られていた。
その職場の先輩とは歳は30近く離れており、部署も一緒になったことはない。
廊下ですれ違う時などに微笑みながら「元気か」と一言。
残念ながらそれ以上の記憶はない。
着席し祭壇に目を向けると遺影写真がこちらを向いて微笑んでいる。
「おい元気か」今日もその言葉が遠くから聞こえたような気がした。
お通夜にお参りさせていただく時、お経を聴きながら静かに個人を想い。
お寺さんからの法話、親族の方の故人に対する思い。弔問客へのお礼の言葉を聴く。
人それぞれに人生を精一杯に生きてきた終焉の席ではある。
心静かに、数々の想い出を辿れば、その故人の生き方に学ぶてんが多い。
「元気か」その一言の裏には、後輩を思う心温かい気持ちが隠されていたのだと今あらためて気付かされる。
携帯電話やメールなど文明は発達したが、残念ながら伝わっているようで大事な部分がつながっていない。
年齢や地位や性別にかかわらず、相手の気持ちになって接することをもう一度自分自身に問いただしてみたい。