うちわEBI'sの忠文です。
ここ数日の県央は大変暑く、雲一つない快晴で、
気温もぐんぐんうなぎ上りのようです。
今日も大変暑いわけですが、
こんな暑い夏に、
個人的におすすめしたいのが「読書」だったりします。
読書と言えば、秋のイメージがあります。
晴耕雨読なんても言いますが、外に出れない雨の日に
やることないから読むんだといったイメージもありますね。
しかし近年の酷暑で外は、熱波の雨のごとし。
晴耕雨読ならぬ、晴耕暑読なんてとこでしょうか。
(すいません。読み方は分かりません。)
下手に昼間、外でふらふらすると熱中症の危険が伴う昨今。
もしくは帰宅してからも、暑さに参ってしまう毎夜。
「読書」をしてみることをおすすめするのです。
といっても、夏の読書は秋のそれのごとく、
集中して何時間も読み進めるのはおすすめできません。
あまりの集中ぶりに、またもや熱中症の危険が伴うかも。
夏の読書は短時間に、涼しい一瞬を捉えて行うのがコツ
ではないでしょうか。
例えばお風呂上り。風呂上りに濡れ手ぬぐいは最高の納涼術と聞いた
ことがありますが、一瞬の涼を楽しむ糧に本を取りましょう。
扇風機に体を近づけ、ごろんと横になったら読書開始です。
暫くしたら眠たくなるでしょう。布団の上がおすすめかもしれません。
最近は内田義彦著「読書と社会科学」を読んでいますが、
夏の読書にはこのくらいの新書判がおすすめです。
中身が一章ごとに独立しているものも多く。
ついつい読みすぎて夜更かしする心配が少ないでしょう。
この本の1章には読書論について書かれた部分があります。
それを読むに読書の効用の一端は、読むものの「眼」を変えてしまう
ことにあると私は考えています。
何かを信じてその本を手に取ったのだが、読み終わるとそれを
手に取った自身の「眼」、「考え方」と読み替えていいかもしれません。
読み手の「眼」が変わってしまう。
故にそれ以前と以後では世界の見方が微妙ながらも変化してくる。
そんなダイナミックな効用が読書にはあるようで、
夏の読書にはそれを助長してくれる働きがあるように思うのです。
夏の読書は短時間が勝負。何せ暑く、集中力は途切れやすい。
そして満足いくところまで読んだら大概寝てしまいます。
こんな散漫な読書で何が得られるかと思われる方もいるでしょうが、
散漫だからこそ、「眼」を変える。
秋になれば自然と本を読み、集中して読書量も増えるでしょう。
しかして夏は、秋ほどに多くの本を集中しては読めない。
この情報量の差が肝です。
寝る前の一読、休憩時間の一読、
そんなときに読んだ内容について我々は読書以外の時間も
頭の中で考えつづけている時はないでしょうか。
読書は単なる情報伝達の手段ではないでしょう。
その内容について自然に考え、それが日常の所作の中と
結びついてこそ生きるというもの。
夏の読書は読書量も少なく、また一回に読む量も少ないからこそ
秋よりもより、日常に根ざした読書が出来るのではないでしょうか。
っとまぁ偉そうに書いたわけですが、
夏でもクーラーの効いた図書館で読めばいいのかもしれず、
長々と書いたことを詫びて今日のコラムとしたいと思います。
さて、市立図書館にでも行ってくるかー!
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