こんにちは。
地域おこし協力隊の北野です。
これまで取り上げてきたように、新和町には様々な伝承が残っていますが
40年ほど前、小宮地には有名な労役牛(役牛)がいました。
その名も「百太号(ひゃくたごう)」。
小宮地の諏訪地区で家畜商を営んでいた竹内百太さんが飼っていた雄牛です。
【写真:竹内百太さんと百太号】
百太号は昭和49年、三歳の時に百太さんに買い取られ
昭和60年12月までの十二年間、労役牛(役牛)として
山から木材の運び出しや、田畑の農耕を主として働きました。
百太号は肥後の赤牛で、体格もよく力が強いため
あちこちから仕事を頼まれ、百太さんとともに忙しく天草中を駆けまわっていたそうです。
主人である百太さんには従順で、まるで一心同体のようだったと
地域の方々も思い出深く話してらっしゃいました。
当時はちょうど、農業や林業に機械が導入され
労役牛(役牛)がほとんどいなくなった頃です。
百太号は天草最後の労役牛(役牛)として
テレビに取り上げられ、一躍有名になりました。
中田運動広場で行われた、初日号(馬)と百太号の木材運び対決では
結果としては初日号の勝利に終わりましたが
百太号の雄姿は、テレビを見ていた人々にもきっと届いたことでしょう。
【写真:初日号と百太号の木材運び対決(昭和50年代中頃)】
【写真:テレビ収録の様子】
竹内百太さんは生前、百太号の石像を建てたいと言っていたそうで
ご家族がその遺志を継ぎ、下浦石工に頼んで石像を作られました。
百太号の石像は現在、諏訪地区寒の平の道沿いにあります。
ご興味がある方はぜひ探してみてください。
優しい顔をした百太号に出会えますよ。
【写真:百太号石像】
【写真:百太号石像】
【写真:百太号石像】
2020年09月10日更新