集落が大きくなってくると水の確保が必要になってきます。この場所には、その昔から井戸があったのではないかと思われますが、城下区民一致して集落用の井戸掘削が計画されました。
城下の集落で、敷地36坪(119㎡)を購入し、区民の労力により、大正14年8月14日に起工し、9月30日竣工したと記録されています。
井戸の構造:方3間(5.4m)、深さ2丈3尺(7m)
工事費総額:1千3百余円(内438円は県費補助、残り区民の拠出および一般篤志家の寄付)
水質は、極めて清冽・純潔・水質飲料に適す。
世に「城下の水」と称され需要者と区民共同の効果を永久に後世に伝えるべく記念碑を設置すると横にある記念碑に記されています。
碑によるとだいぶ読みにくくなっていますが、
発起人に、田原幸吉さん、城下常市さん、松下伊吉さんなどの名前があり、世話人として石田卯吉郎さんや池田半次郎さんなどの名前があります。
井戸築石工は 本戸村宮崎三平さん
記念碑石工は 下浦村田崎次八さん だったようです。
大正9年に舟之尾に繭市場ができており、そのころの影響もあるのか、城下井戸掘削寄付者名簿をを見ると個人寄付で、13円、12円、11円と当時としては高額の寄付をしておられます。
春と秋の繭市では、天草の外からたくさんの仲買人がこられ賑わうと同時に、かいこ・繭を飼っていた農家は、まとまった現金収入が入ったそうです。 |