あれは確か5月の終わりごろだったでしょうか、管理人が朝からコミセンの花壇の草取りをしていると『管理人さん、そこはなんばしよらすと?』と通りがかりに声をかけてこられたのはお隣の上津浦地区のSさん!
『私の新しい屋敷ば建ててもらうとです』と答えると、『うそばっかー・・・ほんとにや?』とSさん。
当時、解体工事作業中だった下津浦地区コミュニティセンター迫分館を見てそう言われたのです。
あれから4ヶ月ほど経った今、そこはどうなっているかといいますと・・・
↓ ↓ これは先週の様子
↓ ↓ 9月11日に安全祈願祭が行われ
9月末ぐらいから本格的に建設工事が始まりました✨
女性の副会長さんから、解体が終わったら、建設工事が始まる前の諏訪橋から見た風景を撮っておくように言われました。建物があるのとないのとではまた景色が変わって見えるからと・・・
⇒のところに迫分館が建っていました。
解体後の梅雨の時期に撮っておいたものです。
↓今現在の様子
新しい建物が建つと、また周りの景色も違って見えてきますね。
楽しみな反面、長年馴染んできたものがなくなるという寂しさは正直なところあります。
昨日は、年度末に慌てなくていいように大事なアルバムを箱に詰めました。
懐かしい下津浦小学校の大事な大事な写真です。
↓ 昭和42年の新聞や、下津浦小学校の運動会の写真など・・・
整理をするつもりが、ついつい見入ってしまい作業がはかどらないこと!((´∀`*))ヶラヶラ
↓ ↓ 当時は運動会でも太鼓太鼓踊りを披露されていたようです。
見てみると、現在の60代の方の若いころ(20代のころなので40年ほど前の写真)
ほんとうならば10月の2週目の日曜日、つまり今度の日曜日が下津浦諏訪宮秋季例大祭と地区振興会の彼岸花フェスタが行われたはずだったのですけどね・・・。
下津浦小学校には上のように↑ ↑大きな栴檀(センダン)の木があり、広い範囲で陰ができるので、運動会の時はそこの石段にたくさんの方が腰掛け、応援、観覧されていらっしゃいました。
現在はそこも全く違った景色になってしまいましたが、こうして写真を見ると当時の光景を思い出すことができるので、きっと新しいコミセンが建っても、今度はそこに馴染み、迫分館の写真を見ればきっと思い出すことができるかな?と思います。
今後も、新しいコミセンができるまでの経過をご紹介していきたいと思います( `・∀・´)ノヨロシク