◇振興会では、今後、“魚貫のよかやっか!知らん

 やったジャー!”マップに続いて魚貫の歴史その

 他について確認、聞き取りをし、文章として残して

 いければ考えています。


◇マップ作りを通して初めて知ったこともありました。

 例えば・・・

 ○石川鎮太郎新山炭鉱鉱長の業績について

  *資料によると鉱員の福利厚生・私立学校の開

   設など文化活動に尽力したとありますが具体的

   な内容については不明です。

   また、“浦越神社”を以前地区の人達が大切に

   していたとの話しを聞いたことがあります。

   この神社と石川さんとの関係は?など

   少しでも分かるといいです。

 

 ○炭鉱の歴史について

  *かつては女性が坑内に入っていた資料も見ら

   れます。

   それは本当か、本当ならいつまでそれが許され、

   その後どうなったか。

 などなど

 また、地名の由来についても、

 きたんき・ばんじょだ・・・など今も時々耳にします。

 時とともに使われなくなり、忘れ去られるものも多く

 なりました。

 今後文章化し残すことができればいいですが。


◇先日魚貫老人会の例会に出させて貰いその話しを

  しました。それによると・・・

   

  ○“きたんき”~資料にはナシ 

   <聞いた話しでは・・・>   

    ・例会へ参加の人から、自分の家は“きたんき”

     という人が3名。

     それによると、お宮の下一帯を呼んでいたの

     ではないか?と。     

   

  ○“ばんじょだ”~

   [資料によると

   ・漢字では“番所田”か? 

   権現山炭鉱坑口の山の麓の水田一帯を呼んで

   いる。

   祇園山は久玉氏の出城で西からの攻撃に対して

   の備えとして作られたもので「見張り所」があった

   か?

   「見張り所」には「番代」「城代」がいた。

   その「番代」の「扶持米」として与えられた田んぼ

   が“ばんじょだ(番所田)”か?

  

  <聞いた話しでは・・・>

   ・昔、家は2軒だけで、周囲一帯は田んぼだった。


◇その他、“寺郷(てらご)”、“向郷(むかえご)”、

  “こじんな”、“よりがめ”・・・など聞いたことがあり

  ませんか。

  地名がどこを指しているのか、漢字での書き方が

  分かると想像も膨らんで来て面白いのですが。



  





         

2019年11月22日更新