こんにちは。
地域おこし協力隊の北野です。
新型肺炎の影響もあり、イベント等の中止にともない
新和町の旬な話題も少なくなっております。
そこで!
以前より温めてきました、新和町の歴史を写真で振り返る
「新和伝(しんわでん)」
を、いよいよ連載していこうと思います。
※名前はたくさんの候補の中からわたくしの独断と偏見で選びました(笑)
はてさて。
私が新和町に赴任して2年が過ぎようとしていますが
ここにきて最初に見せていただいた書物が
新和町合併50周年記念誌
「新和のあゆみ~時を刻む思い出の一枚~」
でした。
新和町の、大正時代から残る写真を編纂し
一冊の本にまとめた、まさに新和の「近代史」ですね。
私は赴任一年目のときに、この書物に掲載されている写真を
すべてスキャンし、データ変換して映像化し
敬老会と楊貴妃祭りで公開しました。
そして現在、3年目の試みとして
ほかにも数多保存されている古い写真をデータ化し
復元しようと少しずつ動き始めています。
今回からその活動の一環として
まずは「新和のあゆみ」がら抜粋させていただいた
写真をご紹介していきたいと思います。
前置きが長くなってしまいましたが。
まずは大正時代から↓
大正時代の非常に貴重な写真です。
以前、「新和のあゆみ」を編纂する際に
地域の方々に呼びかけ、提供いただいた写真になります。
当時の服装や背景の木造校舎など、今や映画やドラマの世界でしか
お目にかかれません。
大宮地八幡宮は寛永8年(1631年)以前に鎮座された神社です。
おそらく大宮地八幡宮大祭も、その頃から400年近く続いている
祭りだと思われます。
獅子舞や玉振りの衣装は脈々と受け継がれ
現在もほとんど変わりません。
上部の旗に「碇石」という文字が見え、菅原神社の招魂祭ということですので
おそらく、中田地区の「菅原神社」ではないか、と思われます。
中田地区と碇石地区は当時ひとつの村で
昭和29年の「新和村」合併以前は「中田村碇石村組合村」でした。
奉納相撲は現在、碇石地区にて12月(の第一日曜日)に開催される
「碇石ふるさと祭り」にて、その伝統が受け継がれています。
このような写真が、写真として残っている奇跡。
今後はデータとしても、地域の遺産として大切に残していけたらと思います。
第二章では、昭和初期~昭和10年前後までをご紹介します。
2020年03月19日更新