こんにちは。
地域おこし協力隊の北野です。
先日、「TKU テレビ熊本」さんが
「しんわ楊貴妃伝説」の取材にいらっしゃいました。
【写真:立の鼻での取材の様子】
番組の内容としては
熊本に美男美女が多い理由、そのルーツを探ろうという企画で
新和町の「楊貴妃伝説」に着目。
新和町の歴史研究家である平田豊さんが
楊貴妃が船で漂着したと思われる宮南地区の「立の鼻」を紹介。
「楊貴妃(よきち)」の地名が残る竜洞山の楊貴妃像周辺や
竜洞山展望所でも撮影が行われました。
放送は、夕方のTKUライブニュース内の「くまもとヒストリー」で
2月初旬(3日前後)の予定だそうです。
詳しい日時がわかりましたら、またご連絡します!
【写真:楊貴妃(TKU 恒松アナウンサー)】
【写真:楊貴妃(TKU 恒松アナウンサー)】
展望所と楊貴妃像での一枚。
楊貴妃の衣装でノリノリの恒松アナウンサーが素敵でした☆
【写真:展望所での撮影の様子】
【写真:はるか故郷を想う楊貴妃】
さて、「しんわ楊貴妃伝説」とは・・・
新和町の中央に横たわる屏風連山の一角に竜洞山があり
この一帯に伝わる絶世の美女伝説がある。
今から千二百有余年の昔、竜洞山の山懐に見事な屋形が建っていた。
その屋形には絶世の美女が住んでいた。
あまりの美しさに村人たちは狐か狸の化身ではないかと噂し
誰一人として近寄るものはなかった。
ある年の夏、疫病が流行し村人たちは大変困っていた。
それを知った屋形の美女は、唐の国から持ってきていた「楊貴湯(ようきとう)」を
村人たちに分け与え、難病に悩む人々を救ったという。
それ以来、村人たちは屋形に住む美女を尊敬し、日ごとに仲良くなった。
唐の国から逃れてきた「楊貴妃」という高貴なお方であると知った村人たちは
心優しい楊貴妃を慕い続けていた。
楊貴妃が玄宗皇帝の迎えの使者が来ることを待ちわびて
一日千秋の思いで耐え忍んでいたある日のこと
一転、にわかに掻き曇り、雷鳴とどろく中で
屋形から一匹の竜が山頂に舞い上がり、竜とともに楊貴妃の姿も消え去った。
一瞬にして屋形も跡形もなくなったが、楊貴妃が愛用していた香袋がひとつ
山中の大岩の上に置いてあったという。
~しんわ楊貴妃物語より抜粋~
2021年01月18日更新