あの日から22年の年月が流れました。係り付けの病院での検査に10日間、手術も出来なくて帰宅、2ヵ月の自宅療養、お医者様の勧めで川崎市立井田病院のベッドを探して入院、5日後に旅立ちました。午後6時26分、夕食前のひと時、小さな写真の前に座って「般若心経」を写経しました。主人を偲ぶとき、義父と義母、3月10日の東京大空襲で母に背負われて逃げ延びる途中、防空頭巾に火がついて、一週間後に亡くなった幼い良三ちゃん、懐かしさと感謝の思いと共に、「ご一緒させて頂きます」とお願いしています。

     「いい残し 書き遺したきこと多けれど
                  生き尽くしたる世に 未練のこさじ」              

祥月命日
2019年02月01日更新