清々しく、爽やかな、なんて美しい色でしょう!絵手紙のお仲間HKさんが自分の家の畑で採れる青梅を持って来てくれました。100本からの梅の木から一粒ずつ手でとるそうです。1キロ入りの袋を3個も頂きましたので、帰途スーパーによって氷砂糖や瓶を買いました。昔は毎年梅酒を作っていましたが、今回は梅シロップを作ることにしました。頂いた梅を傷つけないように洗って、水気をよく拭き、容器に梅と氷砂糖を交互に入れて、発行を促すのにお酢を少し入れます。カビの発生を防ぎ、エキスを早く出すため為毎日蓋をしたまま容器をゆすって混ぜます。約1カ月、梅がシワシワになったら梅を取り出します。シロップは一度煮立たせて耐熱容器に移し密封して冷めるのを待ち冷蔵庫で保管します。氷砂糖の袋に書いてある通りに作りました。小ぶりな容器を選んで10個ほど出来ましたので、瓶のまま差し上げられます。夏の暑いときに冷たい水で薄めて、キュッーと一杯、呑みましょう、ワァ~!1ヶ月後が楽しみ!

 

青梅-1

 

静岡から、北大西洋産の本マグロの詰め合わせが冷凍で送られてきました。何時ものお仲間を招集してマグロパーティーを開きました。脂に甘みのある大トロと中トロ、まぐろ本来の旨みが味わえる赤味の三種詰め合わせです。計九名、僅かずつでしたが鉄火丼やお刺身で楽しみました。HMさんが昔の冬物オーバーをトートバッグにリホームしたいと持ってきましたので、皆であれこれと云いながら縫いあげました。少し虫食いのあるところには別布を当ててポケットしました。意外と素敵な出来具合で最後の仕上げはご自分でなさると持って帰られました。よかった!!

「鮪の美味しい解凍の仕方」

① 凍ったままの鮪の表面をさっと水洗いし、表面に付着している(切りカス)を洗い流す。

② 鮪の表面の水分を良く拭き取り、固く絞ったふきんに包む。(ふきんは、3~4%の塩水にさらした後固く絞り、鮪を包むと鮪の発色が良くなります)

③ ふきんに包んだ鮪を冷蔵庫に入れ解凍します。解凍の目安は200グラムのサクで3~4時間、500グラムのブロックで5~6時間です。 *皮、骨、血相合が付いている場合は取り除いてお召し上がりください。と、説明書がありました。綺麗に解凍出来ました。

 

トートバッグ

 

 

 

先日の「母の日」は天草で迎えました。田原道代さんが八代の娘さんから送られたベゴニアの鉢植えを持ってきてくれて食卓の真ん中に飾って、皆でお食事をしました。23日に帰ってきてホッとしたところで姪の次男が素敵な花束を持って来てくれました。彼は赤坂見付けにある会社に勤めていますので、何でも高級品そして高価でしょう!月給も安く結婚したばかりですので、申し訳なく気持ちだけでも嬉しいです。母になれなかった私に毎年お花が届くのも何となくおかしなものですが、私の「母の日」は二十数年も前に亡くなった実家の母と、加藤の母に感謝をする日、と思っていますので頂いたお花は二人の母と私の三人に頂いた物です。彼にも「ありがとう」そして母達にも「ありがとう」の感謝の日です。。鉢植えのようになっていて鉢の中にはオアシスがはいっています、私の好きなオレンジ色のリボンがついています、倖せいっぱい、ありがとう!

 

遅ればせ・母の日

 

 

 

帰宅まじかになって、宅急便も発送し、暇を見ては来月の川崎での絵手紙の準備を始めました。

コーヒーフィルターに簡単な絵を描いて中にハーブを包んで入れました。沢山描かねばならないので簡単な絵しか描けませんがサンプルを作っておけば皆さんにお手伝いしていただけるので、少し作ってみました。

川崎の姪が天草の晩かんや新鮮な野菜類を楽しみにしていますので、レタス、水菜、塩トマト、そのほかのいろいろをクール便で送りました。今回、天草に来るときは一寸疲れ気味でしたが、皆さんとお会いしているうちに元気を取り戻しました。本当に、お蔭さまです。有難うございました。7月又、元気でお邪魔いたします。


コーヒーフィルター-2



明後日の天草行きの準備をしなければなりません。宅急便が二日掛かりますので日にちを見計らって発送します。

あれもこれもと思いながら慌ただしい発送になりました。二日間バスと電車で歩きましたが、とても疲れました。足も弱くなっているのですが、車ばかりの毎日ですので少し軽い運動をしなければいけないと痛感し、天草の「Aフィット」に通います。宜しくお願い致します。

第5日目が終わり、いよいよ佳境に入ってきました。中学生の伊藤美誠と平野美宇の躍進が素晴らしく魅せられます。

ベテランの日本勢も勝ち進み、いよいよ楽しみです。中学生時代の部活の先生は今どうしていらっしゃることか?お元気でいられたら今年は89歳、視ていて下さるかしら?兎に角、中国の選手は信じられない技術を持っています。

大分以前に、蘇州を訪れた時の西湖の静謐な佇まい、桂林の漓江の流れ、様々な思いが脳裏をよぎりました。

今日も、応援します!

 

五月の絵-2

 

 

 

端午のお節句にむけて私達も色々な小物を作っています。作るのも楽しいし、「可愛い!!」と云って喜んで下さるのも嬉しいです。絵手紙にも工夫をこらしたお便りが届いて思わず”にっこり”です。昨日届いたお便りは、茨城県に疎開をしていた時の同級生の妹さんからです。公民館で絵手紙を教えていられるそうですが、字も絵もとてもお上手です。折り紙の鯉のぼりが元気よく泳いでいます。

 

五月の絵-1

 

 

 

 

15日と16日、二日続けて井田病院と正行寺のグループの人達が3人づつ、兜を被った縮緬で作る可愛いお人形さん、鯉のぼりのお箸入れや折り紙の兜を作りに来ました。昼食を兼ねてきますので,簡単なお料理でも楽しくおしゃべりをしてから始めます。いろいろな話も出て驚いたり感心したり、励ましたり、慰めたり、絵手紙から始まったお付き合いも長くなって大切な人達です。入院中の患者さんに使っていただいたり見ていただいたり、少しでもお役に立ちたいと思っています。


折り紙・兜

今、各町村で高齢者学級が色々な形で盛んに行われています。取り組み方も様々ですが、天草の或る高齢者学級からプログラムの一つに絵手紙を取り上げてみよう、との提案がありました。高齢者学級での絵手紙は初めての事ですのでどのように受け入れられるか分かりませんが、何事もやってみなければ、と思います。お道具やお手伝いも必要になりますので、絵手紙のお仲間にも協力して頂けるよう努力してみようと思います。

井田病院の絵手紙のお仲間、田中ちよちゃんが今日は得意のフエルト手芸のストラップを持ってきてくれました。前にもサッカーボール、色鉛筆、オクトバス、野球帽等のストラップを細かい綺麗な針目の手縫いで作ってくれて皆が頂いています。今日のストラップは和菓子のような花柄の可愛さで仕切りの付いた箱に入って居ますので、菓子折りと間違えてしまいそうです。早速、絵手紙にして差し上げましょう!

 

お菓子のような!

 

 

 

川崎市立井田病院のロビーや廊下に、綺麗に咲いているセントポーリアが置かれています。私が井田病院のボランティアに参加するようになったのも、主人が亡くなった年にセントポーリアの手入れの手伝いをして貰いたい、とお声が掛かったのが始まりでした。新宿の小田急デパートの猪又先生の指導を受けましたが、セントポーリアはとても難しい植物で温度、湿度、衛生状態など、病院はそれらの条件を満たし栽培に最適だそうです。暫くして緩和ケア病棟が新設され、お世話になった宮森先生が施設長になられ時に、緩和ケア病棟で絵手紙のボランティアを始め、今に至っています。セントポーリアの皆さんも頑張っています。セントポーリア本当に沢山の種類があって見飽きません。

 

セントポーリア-8

 

 

 

留守中に川崎に頂いた絵手紙が溜まっています。早くお返事を書きたいと思いながらも、まだ整理がつきません。

なかでも、大阪から初めての方のお便りを頂いているのが気がかりです。図書館で「絵手紙一期一会」の本を読んでくださって、絵手紙を辞めようと思っていたけど、思い直して続ける事にした、とありました。私も、市販の絵手紙の本を買ってきて始めた絵手紙ですので、決して上手ではありませんが、諦めずに、心を込めて描き続けられた事が、今の自分に繋がっているのだと思います。まだお会いしたことのない方とも長年絵手紙のお付き合いをしております。又お一人、絵手紙の輪が広がって嬉しいです。早速お返事をお出しします。

帰宅して一夜明けて庭に出てみました。海棠が花盛り、そして白玉椿、プリムラマラコイデス、芝桜、椿、桃の花、など留守の間も一生懸命咲いて居てくれました。四季生りレモンも食べられないのですが大きな実をたわわにつけています。

前の梶ヶ谷第二公園の桜は満開です。すぐ目の前ですので夜桜も見ます。春酣、一人で視るのが勿体無い思いです。

 

春の庭-5

 

 

 

姉が遺した二人のお人形さんは、大きな瞳、金髪ですが日本製です赤坂で「伊志井」という日本料理のお店を取り仕切っていました。四人の姉妹の中でも一番きれいだったし、社交的でもあり、赤坂周辺の政治家の方、一部上場会社の社長さん、TBSテレビ関係、お医者様や所謂先生!と呼ばれる人たちで繁盛しました。平成四年、胃がんで六十歳で亡くなりましたが、仲良くしていただけに本当にショックでした。

お人形さんのおしりの部分に、3月3日のお誕生日に贈ってくださった方たちのサインを見て、皆さん顔見知りでもあり改めて懐かしく当時を偲びました。もし、もし、元気でいてくれたら、私はきっと姉と一緒に暮らしているだろうと思ってしまいます。思い出すたびに涙が溢れます。天草でお留守番をしてくれます。

今日は,3月25日です。朝起きて新聞の一面を開いて日づけを見たとき、今日は父の祥月命日であることに気が付きました。昭和13年3月25日、36歳の若さで肺結核で亡くなりました。母は父と同じ歳で長姉10歳末の私が3歳で5人の子供が遺されました。それから50年たって母が亡くなった時、父の骨壺を開けて母と同じ骨壺に移し替えました。真っ白で綺麗なお骨でした。それから又30年の月日が経ちました。まるで、夢か幻のような、長き年月を顧みて、私は天草の地で庭から水仙の花を手折り、お香を焚いて両親の冥福を祈り、感謝の思いを込めました。

お父さん、お母さん!産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、今、私は沢山のお陰様を戴いて幸せです。又お目にかかれるのを楽しみにしています。お墓参りをさぼっていてごまんなさいね!又ね!


母の香り-2

天草に来て、風邪も冷たく「寒いなぁ~」と思っているうちに夜中にのどが痛くなって、朝目が覚めると声が出なくなりました。お医者さんに行って風邪薬をいただき飲みましたが中々治りません。2~3年風邪もひかなかったのですが、やはり、年を取ると抵抗力が低下します。今日は風もなく、気温も上がりましたので外出してみます。やはり、元気で動けることは何よりもありがたい事です。さぁ~!頑張りましょう!

友人達が六本木のサントリー美術館の本阿弥道八のお茶道具等の作品を観に行くと云うので、同乗させて頂いて、馬喰町の手芸材料店「かんだ手芸」で生地やファスナーを求め、カレーうどんの専門店「千吉」で昼食を済ませ、その後六本木の歯医者さん「BRANSHE」で降ろして貰い、久し振りで伊藤先生にお目に掛かりメンテナンスをして戴きました。IHさんの運転がお上手で、普段あまり通らないような一般道路を走り東京タワーの真下からタワーを仰ぎ見て壮観でした。墨田区のスカイツリーも立派ですが、東京タワーの人気も衰えず懐かしい風景です。お蔭さまで楽しいドライブでした。「千吉」のカレーうどんもメニューが豊富で皆さんに気に入ってもらって良かったです。

 

日本橋馬喰町・問屋街-4

 

 

 

川崎の映画街、チネチッタで上映中のイギリス映画「おみおくりの作法」を観に行きました。姪から話を聞いたのですが、明日までの上映とのことで、一人で行きました。平日の昼下がりとあって観客もまばらでゆっくりとしていました。内容は全然聞いていなかったのですが、「おみおくり」と云うからにはそれなりのお話だろうと思っていましたが、良いお話でした。民生委員を勤める四十過ぎの冴えない男性の話です。所謂孤独死をした人達に対して誠心誠意対応し、家族を捜し知らせて迷惑がられ冷たくされ、上司からも疎んじられて解雇を宣言されますが、最後の見送るべき男性の娘をやっと探し当て葬儀に列席してくれるよう頼みますが断られ、帰り道で車に跳ねられて亡くなります。牧師さんだけの付き添いで墓地に埋葬されますが、近くではお世話をした人の埋葬が大勢の人によって行われ、あの娘さんが男の人が来ないので探しています。不審に思いながら墓地を後にし、誰も居なくなった墓地に男の人が今迄にお世話をした人達があの世から三々五々集まってきて、何時までも立ち去らず手厚い葬儀をするのです。男の人にとって、亡くなった人は差別なくお見送りをしたのです。最後に原題が「Bitter´s End」とありました。「哀しい死」とでも直訳するのでしょうか、彼にとっては本望だったかもしれません。見終わって何となくため息が出ました。

夕暮れの川崎の映画街はひさしぶりですが、昔とはすっかり変わって、かつての美須興行も一大歓楽街になりました。

なかなか機会はありませんが、たまには映画館でみる映画もいいものです。行って良かった!

 

イギリス映画「おみおくりの作法」

 

 

 

ここ2~3日、録画をしてあるTVを視ています。今年になっての報道番組は目にし耳にするのもおぞましいものですが、池上彰さんの解説番組はなるべく視るようにしています。その他には、ドラマが多いのに気が付きました。「相棒」、沢口靖子さんの「科捜研の女」、名取裕子さんの「京都地検の女」、その他松本清張、森村さんの「終着駅シリズ」、先日視た是枝裕和監督、福山雅治さん主演の「そして父になる」も良かったです。科捜研や京都地検では科学的な展開があって、とても興味あります。又、スポーツ番組では、中学高校とクラブ活動は卓球部でしたので、必ず視てその素晴らしい妙技に感動します。最近十代半ばの若い子たちの進出が目覚ましく頼もしいです。あと、古典芸能、歌舞伎やお箏の演奏会等、消去するのが惜しい物もあります。どうしても夜中になってしまうので、朝もゆっくり起きています。

 

お箏の練習

 

昨日の久末ディサービスセンターの絵手紙で今月の絵手紙関係は終わりました。

今日は風もなく日射しも柔らかく立春を実感できます。朝、ベッドに届けられる新聞を見て最後にその日のTV番組を見、見たい番組、録画をする番組等を決めてます。今日は外出の予定がありませんので、お返事を認めたり片つけをしようと思っています。でも、でも、フジTV,午後一時三十分、「市川団十郎の娘より闘病九年秘蔵映画公開復活への執念・・・全記録白血病と闘う素顔の父入院生活4度支えた妻家族を一つに・・・父の愛」二時間に亘る番組が放映されるのを見つけました。奥様が、海老蔵が、娘のぼたんさんが何を語るのでしょうか?是非録画を撮りたいと思います。写真は『助六由縁江戸桜・すけろくゆかりのえどざくら』の助六を演じた時の男伊達です。

 

十二代市川団十郎丈

 

今日は寺谷住宅の絵手紙の日でした。1時から3時までお雛様を描いたり折り紙を折ったりしました。メンバーのお一人が家でお箏の絵を描いて持っていらっしゃったのを見せてくれました。もうかなりの年配の方ですが、若い時に生田流をお稽古したとのこと、次回3月4日の絵手紙の日に是非「雛祭り」の曲を弾いて聴かせて下さい!とお願いしました。皆で「あかりをつけましょ ぼんぼりに・・」を唄いましょう、と話し皆も拍手で賛成しました。楽しみです。お茶代わりに甘酒を持って行こうと思っています。

天草の滞在が三週間に亘ったのは、今迄に一番長かったことでした。前半は忙しく後半になって自分でも少しお正月気分になってのんびりしよう、と思いました。読みたい本を開いたり、録画しておいた番組を視たり、気分転換に近くのスーパーに食料品を買いに出掛けたりしました。友人達と外食したり、皆でワイワイ料理をしておしゃべりをしたり、一人も良いけど賑やかなのも大好き、毎日それぞれに楽しく、皆さんに良くして頂いてつくずく幸せを感じました。二月は川崎や横浜の友人達が待っていてくれます。有難い事と感謝して川崎での二月を過ごします。

 

我が家の初冬-4

 

 

 

 

 

 

 

一月十日、天草に着いてから整理や準備に忙しくしていて、それも一週間余りで落ち着きました。暮れからお正月にかけて川崎でも忙しくしていましたので、やっと、私のお正月が来ました。今日は何もしないでゆっくりしよう、と決めた日、録画してあるTVを視たり、読みかけの本を開いたり終日寝たり起きたりしました。必然的に夜も寝られませんので夜中まで目はパッチリ!かえって疲れてしまうものです。部屋の道を隔てた前のマンションに「入居者募集中」の旗竿が風に靡いているのを見なければ、日射しも穏やかで毎日良い日一日です。今年の干支の羊は穏やかな性質で仲良く群れをなし、古くから人類の役に立っている動物だそうです。平安な穏やかな一年でありますように!

 

新年-2

大晦日になって、中学時代の親友、荻原照子さんから「伊達巻きを送ったから!」と電話があり、程なく大きな六本の伊達巻きが届きました。この伊達巻きも、もう何年続いていることでしょう。毎年暮れ近くになると、卵とハンペン、烏賊、山芋等を大量に仕入れ、28日頃から造り始めご近所には自転車で届け、遠くは宅急便で送ってくれます。一本焼くのには十分ほどですが、一時間に三本しか焼けないそうです。それを、毎年約四十本近く焼き上げます。荻原さんは去年の一月アメリカに住んでいた娘が日本で急逝し、六月にはそのご主人も白血病で他界され遺された小学二年生の孫娘を引き取り面倒を見ています。色々なボランティアも続けていて多忙な日々ですので、今年はとても無理だろうと思っていましたので、無理をしてはいないか?と心配になり早速電話を掛けました。元気でいてくれて安心しましたが、お互いにあまり無理をしないで楽しみましょう、と長電話を終わりました。お正月は伊達巻きをしみじみと味わい、彼女の平穏な日々を願います。

今日は、正行寺の皆さんと仕事納め、と云う事で集まりましたが皆さんがお誕生日のパーティをやって下さって吃驚しました。「天松・おもて」という古い馴染みの天ぷらやさんです。ワインを三本あけて美味しく頂きました。私は、自分の事で何かをしてもらうのはあまり好きではないのですが、やはり嬉しいですね!大きなケーキも帰ってから切り分けて食べました。苺が幾重にも重なって居て豪華でした。皆さん、有難うございました。

 

バースデーケーキ

 

歌舞伎座の桟敷席は舞台の両側、20席づつ計40席、テーブルにお茶のポットが置かれてお値段も高くなります。西側は花道の後ろになり役者さんの背中を見るようになり、東側は花道から離れてはいますが正面から見ることが出来ます。桟敷の中央5~6番は中々取ることは出来ませんが、今日は東側3-1で観劇しました。かなり舞台に近いので、舞台をかなり斜めから見るようになります。そこで気がつい事。

後見役の名前はプログラムにも載り、、ちゃんと顔を出し、羽織袴に裃を着け舞台に出て、役者さんのお世話をします。黒子さんは全身黒い身なりで顔も黒い布を掛けて見えないように、目立たないように身をかがめ、小走りに出入りし舞台にとどまる時は役者さんの背後で客席から見えないようにしています。その間も役者さんの衣裳を直したり支えたりして一瞬たりとも気を緩めずに立ち働いて居ます。今日は、黒子さんの見えない部分を見ることが出来て、この世の中すべて、何事も、こうして陰で見えない処で働いて、しかも無くてはならない存在が、人に限らず沢山あることに気付きとてもいい勉強をさせてもらった、と思いました。

先日、合同の忘年会が終わりましたが今日は井田病院の仕事納めで、お正月の病院内の年賀状の展示パネルの張り替えについて何時ものもんじゃ焼きや「あん」に集まり話し合いました。1月5日の第一月曜日はまだ松の内ですが、待っていて下さる患者さんもいらっしゃいますので5日に集まり、その時に絵手紙の交換をすることにしました。NさんとHさんはご高齢で欠席、8名で熱い鉄板を前に顔を火照らせながら冷たいビールで乾杯しました。10月にご主人を亡くされたGさんには桐の葉書入れの箱に、(蓮のうてなのご詠歌:) 「 さきだたば おくるるひとを まちやせん はなのうてなの なかばのこして 」を描いて持参し、他の人達には一年の感謝の思いを込めて、ミニお飾りを持ち帰って頂きました。

来年も宜しくお願い致します。

 

仕事納め・その1

 

私は昨日、仏さまから天蓋のように美しい傘を頂きました。坂村真民さんの詩にある傘です。

そしてこの傘は何を意味するのだろうか?と考えました。私の場合仏さまと云えば、浄土宗のご本尊の阿弥陀如来です。お寺さんにお参りに行くたびに、ご本尊様のお顔を仰ぎみます。阿弥陀様が私に傘を下さる、と云う事はこれからも私に傘をさしかけて下さって庇護して下さる、行いを正しく、お念仏をお唱えなさい!正行寺さんからも戒名の一部を頂いています。「〇〇院寂誉綾苑〇〇」です。私はこれからもすべてを阿弥陀様にお任せして我が身を律する事に努力をしようと思いました。

 

天草の家-25

 

 

 

バタバタしていて今月のカレンだーを捲るのも忘れていました。お寺から頂く月めくりのカレンダーも一枚になりました。

今月は「貪りの人生でなく 知足の人生を」とあります。あれもこれもと慾を持たずに、今、そしてこれからも自分に見合う満ち足りた時間を過ごしましょう、と云う事です。改めて初めからの言葉を拾ってみました。1月;「清き心をはぐくむ」2月;

「辛さを知ってやさしくなれる」3月;「決して一人じゃない」4月;「大切なことはなかなか気づかない」5月;「悩みも答えもそれぞれ」6月;「立ち止まってみよう」7月;「思い込みが道を閉ざす」8月;「まごころを供える」9月;「阿弥陀仏ここを去ること遠からず」10月;「ありがとう言葉にして想いを伝えよう」11月;「南無と称える声の尊さ」とありました。毎月、成程!と思いながら捲ったカレンダーも終わりです。有難うございました。

 

 

芝・増上寺、御忌会-1

 

私は今から二十年前に東京明石町の「聖路加国際病院」の整形外科で右足の変形性股関節症の手術を受け人口関節を入れました。当時の先生は、日常生活に支障が出てきたら手術をしましょう、と云う事で我慢をしていましたが、階段を上がれなくなって手術をし、それから十四年経った平成二十年に二回目の手術を受け、長時間歩かないこと、重いものを持たないこと、正座をしないこと等を気をつけながら今日に至り、半年毎にレントゲン写真を撮って経過を診ています。今日は検診の日で朝七時半家を出て九時に到着、一時間余りで終わりました。昔の聖路加国際病院は兎に角一日がかり、受付、診察、薬局、会計と時間が掛かりましたが、今はすべて機械化されて良くなりました。

11月7日、お寺で十夜法要が営まれ供養のお塔婆を仏間に置いておきましたので、帰りに上野公園にある加藤家の谷中霊園と、浅草の姉のお墓参りを済ませました。お掃除や供花をお願いしている「つなぎや」さんにも年末のご挨拶をし支払いを済ませ、念入りに墓石や周囲のお掃除をしました。お花を捧げ香華を手向けて今年の無事を感謝し合掌すれば心が洗われたような清々しい気持ちになります。今年も無事に年末のお墓参りが出来て良かった、良かった!

 

お地蔵さま

 

 

 

 

 

 

 

6日(土)、姪の次男の結婚式を明日に控えて留学時代のルームメイトのジン君ご夫婦が韓国から来てくれました。私も今年3月韓国で沢山お世話になったので、お夕食をご一緒しました。奥さんとは初めてお会いしたのですが綺麗な可愛らしい方で二人のお嬢さんのお母さんとは思えない若々しさです。日本語が分からないのでジン君が説明に大わらわです。新郎の伸啓も一緒でしたので、あまり遅くならないようホテルに帰りました。まんまるいお月さまが冴え冴えと中天に架かり明日の好天を約束してくれているようでした。

 

結婚式前夜

 

 

 

今年新しく高津区久末にある寺谷住宅の皆さんと絵手紙をご一緒することになり、毎月第一水曜日午後1時に集会所に伺っていました。皆さん大分慣れてこられて年賀状に挑戦してくれました。

今日は今年最後の絵手紙ですので、早目に終わってお茶会を致しました。皆さんと時間を掛けてお話できて親しみもましました。大正13年生まれの方がいらっしゃって、お元気なのに吃驚しましたが和気藹藹楽しい時間でした。又、来年も宜しくお願い致します。どうぞ、皆さま、佳いお年を!!

毎年、10月になると来年の絵手紙カレンダーの原稿を描いて印刷会社にお渡しすると、11月の末には出来上がり、皆さんにお渡し出来たのですが、今年はいろいろと行事が重なってどうしても原稿を仕上げることが出来ず、カレンダ^の制作を諦めました。丁度島崎先生からカレンダーのご紹介を頂いたので、皆さんにお知らせしました。「今月の言葉」欄に毎月先生の思いが記されています。シクラメンは12月です。

 

島崎昌美先生-5

 

八十歳のお誕生日が近付いて免許書の更新の時期が迫り、亀場の自動車学校へ行きました。指定の午後一時、手続きをして待つこと三十分、その間綾小路きみ麻呂のビデオを見せられるのは、気持ちをリラックスさせる為なのでしょうか?視力の検査、記憶力、反射神経、運転技術等、結構色々な試験があり午後五時迄懸りました。私と同じ、皆さん高齢者ばかりですので最後に教官がおっしゃるには、「熊本市内とか遠方には一人で行かないように、運転はくれぐれも安全運転で!」とのお話があり、やっと釈放されやれやれ、無事に終わってホッとした一日でした。

ふかひれの専門店、筑紫樓・銀座店。11時半から始まった会食も支配人さんが気を遣って下さってゆっくりとお話が出来、ランチ定食を堪能しました。天気予報が雨、とのことでしたので心配しましたがどうやらもちそうです。日曜日の銀座は歩行者天国です。車を遮断して広い銀座通りは散策の人達で賑わっています。特に目立ったのは、中国からの観光客の多さです。テレビでも視ましたが、カバン屋さんには人だかりがする位で大きなスーツケースが5000円で売っています。それと秋葉原の電気街では、日本の炊飯器を沢山買っていくそうです。円安傾向の今、お買い得なのでしょうね。

私達は文房具のお店「伊東屋」に寄って、クリスマスカードや年賀状の下見をしたりして楽しみました。私は、小さいころ、文房具屋さんになりたかった程文房具が大好きで、ここに来ると一日中でも飽きません。日も短くなってきましたが外へ出るともう暗くなっています。銀座通りは昼間の顔と打って変わり、煌びやかなネオンの街になります。「ユニクロ」の全面ガラスのビルの各階には沢山のマネキン人形がライトを浴びて回転しています。中国の人がバス毎止まって写真を撮っていました。

 

夜の銀座-4

 

お十夜の法要には、毎年絵手紙を展示して参詣の皆さんに見て頂きます。今年も沢山の展示が出来ました。

私は、先月亡くなられた天草の宮崎記代子さんの作品を是非見ていただきたいと思って大きなパネル一杯に貼らせて頂きました。長い間、認知症を患われたご主人を介護しながらの旅立ちでしたの、心残りであっでしょうに常に前向きで明るく、綺麗な野の花々を色彩豊かに大きく描く大作です。ご冥福をお祈りしながら私も長い事立ち止まり、元気なころの記代子さんを偲びました、記代子さん、お疲れ様、何も心配せずに安らかに休んで下さい!合掌。

 

宮崎記代子さん-1

 

井田病院では、年に二回ボランティア会議があります。昨日は一時から第三会議室に病院側5人、ボランティアから八人出席しました。お忙しいセンター長の宮森先生はご挨拶の後すぐに退席されましたが、約一時間意見が交わされました。

中には、ボランティアに対する病院側の関心がない、必要な物資の支給が頼んでもない、などありましたが、私達も患者さんに対する接し方、その他の質問をしました。主人の最後を宮森先生に看取って頂き、すぐに始めた私のボランティアも17年目になりますが、宮森先生が在職中は続けたいと思っています。

 

8月の絵手紙-1-1

 

 

 

総持寺のイベントの一つに、建築会社主催の地震体験がありました。体験用の大きな車に四人づつ乗りテーブルにしっかり捉まって震度3から最高6強迄の揺れを体験します。壁に震度が表示されますが震度5を超えるともう凄いです。こんな地震が実際に起こったら、どうなってしまうのでしょう!有り得ることなので怖くなりました。

 

曹洞宗大本山・總持寺-5

 

友人から相田みつを作品集のカレンダーを頂きました。「ひとりしずか」と題するトイレ用日めくりカレンダーです。

早速トイレにさげました。トイレの中は自分一人、トイレの中に限らず誰にも見られない処で行う事は自分の行ですから、

だからトイレの中は大事な修業をする道場なので、「両辺を汚すことなかれ」と、道元禅師の「正蔵源蔵」に出てくるのだそうです。1日の言葉は「そのときの出逢いが」とありました。出逢いそして感動、感動が人間を動かし、出逢いが人間を変えてゆくんだなぁ・・・・、とありました。明日は2日の言葉をご紹介します!

先代から四代目を継承した猿之助が本業の歌舞伎でも活躍しています。

夜の部「通し狂言獨道中五十三驛 ひとりたびごじゅうさんつぎ」です。京三条大橋より江戸日本橋までの道中、お家騒動を軸に四幕五十三場の構成で場面も役も目まぐるしく展開するなかで、猿之助が十八役の早替わりに挑み、大詰では、本当の水を使った箱根山中の滝ヶ淵の場面では客席まで水飛沫が飛ぶ勢いで、早替わりの見事さに加えて息を呑むような緊迫した舞台でした。朝早く家を出て馬喰町の問屋街での買い物を済ませたりしましたので一日中、駆け回りました。疲れましたが、楽しい一日でした。

 

市川猿之助

 

明日、10月6日第一月曜日は午後一時から井田病院・サンルームの絵手紙の日です。

台風18号が6日にかけて東日本に接近しつつあります。台風の北上に伴って本州付近に湿った空気が流れ込み前線が活発になる為、5~6日にかけて東日本の太平洋側を中心に大雨の恐れがある、との予報が出ました。お世話役の岩崎せつ子さんが井田病院とメンバーに連絡を取ってくれてお休みにすることにしました。患者のお一人が楽しみにして待っていて下さることを考えると申し訳なく思います。次回は11月は第一月曜日は祝日なので、第一木曜日の6日と第二月曜日の10日になります。宜しくお願い致します。



隔月の天草行きは、羽田空港から阿蘇くまもと空港へ、そして天草エアラインに乗り換えて20分のフライトで天草空港へ。昔は一日がかりの長旅でしたが便利になりました。帰途の天草空港のロビーに天草の小学生たちのエアラインに因んだ絵画の入選作が展示されていました。どれも負けず劣らず子供達の素直な観察力は素晴らしいですね!

 

天草エアーライン-1

 

二か月近く家を留守にしていると、ご近所の方たちや、他の関係者にもお世話になる事が沢山あります。今回は、長雨が続いたり、庭木の手入れと玄関に手すりを付けてもらったり、ボイラーの点検をして頂いたり、と電話だけの連絡でお願いしていたので支払いやご挨拶に歩きました。有難いことに、誠実に仕事をして頂けるので助かります。

天草滞在もあと一週間、月が変わると川崎や横浜の友人が待っていてくれますので月内には帰宅しようと思います。明日から又残りの日々を楽しみにしています。

 

天草の家-2

予定より一日遅れで天草に向かいます。隣に住む姪の長男がニューヨーク転勤が決まり出発日は未定ながら、手作りのお土産など友人に手伝ってもらって作ったりしました。夕べから東京の各地で豪雨があって水が溢れていますが飛行機の発着には影響が無いようなので雨模様の中出かけます。今回も天草でいろいろな予定があって楽しみです。天草の皆さん、宜しくお願い致します。

昨日の告別式にも、式場入口に故人を偲ぶ数々の写真が飾られ、会葬者の涙を誘いました。

従姉妹と結婚した当時に若々しい姿、私も長いお付き合いを振り返って涙がこぼれました。自分の時はどうしよう!只静かにひっそりと主人のもとに逝きたい、と云う願望は持ってはいるものの、死んでしまったら分からないのだから、任せておいて!と云われ、まぁ先のことはあまり考え無い事にします。

一夜明けて薄日が射して秋の始りです。明日の天草行きの予定を一日延ばして11日に出発しようと思います。絵手紙の皆さんとお会いできるのも楽し、又、食事会もやりたいです。天草の皆さん、宜しくお願い致します。

 

思い出の写真

 

8月31日、夜も遅くなって訃報がありました。療養入院中で先日お見舞いに伺った時はとても元気で、ベッドに起き上がって昔の話などをしていましたのに!近くに住み、馴染みも深かっただけ哀しい想いです。いろいろな事振り返りながらご冥福を祈り、寝付けない一夜を明かしました、合掌。

庭の木々は、一年に二回、植木屋さんが来て手入れをしてくれます。7月は梅ノ木などは枝が伸びてしまってとても気になっている時期に来てくれてホッとします。12月は新らしい年を迎える準備でさっぱりと整理された庭に気分も新らしくなります。通りに面した隅にあった二本の棕櫚が丈が伸びすぎて危なくなってきたので、切ってもらって空いた場所に灯篭を置いてもらいました。クレーン付の車で石屋さんが手際よく作業をするのを終りまで感心しながら眺めて飽きませんでした。特に地震などで倒れたりしないように念を入れてもらいました。よかった!!


灯篭

4日(月)、6日(水)、そして今日は井田病院緩和ケア病棟の絵手紙です。昨日の「富士見プラザ」の大正琴の演奏は、野村先生のピアノと中西咲知子さんと私二人の3人での演奏です。今月は,この他にもデイサービスでの絵手紙体験が一つ、演奏が2つありますので練習にも力が入ります。お元気なお馴染みさんがいらっしゃって、手拍子で歌って下さり野村先生も「演奏者冥利です」と、ご挨拶なさいました。久しぶりでHPを見てくれた高校の親友も「なんと忙しい毎日なの?」と驚かれましたが、只元気に楽しく毎日を過ごせる事に感謝するばかりです。今日も暑いけど井田病院の患者さんが待っていてくれますので、張り切って出かけます。


7月の絵手紙-1-6

前日結婚式に出席し、次週の絵手紙の準備をしているところに、知り合いの娘さんから連絡が入りました。「お父さんが聖マリアンナ医科大学病院に入院している」とのことで、会いに来て貰いたい様子でした。肺がんを患っていて3月に会った時も大分痩せていたので心配していました。姉と相談して夕刻、お見舞いに向かいました。案じていたよりもしっかりしていて良く話もし安心しましたが、長居は迷惑と思い30分余りでお暇しました。

帰途、姉を送りながら夕食を済ませ帰りは遅くなりました。自分の身近にも日々いろいろな出来事が有り、流れゆく時の移ろいに諸行無常を感じ、厳粛な気持ちになりました。帰ってから早速、絵手紙のお見舞い状を描き投函、このような時に絵手紙が役に立って良かったなぁ~、と思います。退院できて無事に家に帰れるように、カエルの絵を描きました。

 

無事カエル-1

 

 

 

真夏の結婚式は珍しいですね!洋服で出席すれば簡単ですが、久し振りで絽の付け下げを着ました。流石に着物姿の人は少なかったのですが、まぁ、良かったと思いました。華やかな雰囲気の中、めったにお目にかかれない方達にもご挨拶が出来て、楽しく嬉しい一日でした。

 

結婚式-6

 

朝早くから、強い日射しが照りつけます。長く伸びた梅の枝や庭の木々の手入れもして貰って、元気に強い日射しを浴びています。今日も正行寺さんが毎月欠かさずに送って下さる「浄土宗新聞・HONENN  BUDDHISM」が届きました。浄土宗月訓カレンダーの「今月のことば」は「まごころを供える」です。九州久留米市の、大本山善導寺の阿川文正台下の揮毫で掲載されました。福島県いわき市のお寺のお坊さんが、この8月に七回忌を迎えるお父様を偲んで、お念仏を唱える今の自分の姿を、しっかりと極楽浄土にまごころ込めて供えたい、という解説でした。

私も、ご先祖や父母や沢山の人々から受けたご恩を思い出し、感謝の心を供えます。

7月11日、天草に着いてから28日川崎に帰宅するまでの天草の日々を忙しく、でも楽しく過ごしました。あれもこれも皆さまに報告したいと思いながらも、怠けてしまいました。3つの絵手紙教室も済み、阿蘇への一泊旅行、新潟からのお客様をお迎えしたり、お食事会を開いたり、天草三曲会のお稽古に一寸参加させて頂いたり、本当に充実した毎日でした。沢山の方々のお蔭を頂き改めて有難いと思いました。皆さん!有難うございました。

 

天草の初夏-2

 

竹台中学校のクラス会を開催するに当たり、今迄に連絡の取れている方達にお知らせをしました。5人の方が電話や手紙で欠席を知らせてくれましたが、お一人の方が電話も通じずに諦めていました。前日になって娘さんを名乗る方から電話が有り「母は八年前に亡くなりました」とのことで吃驚しました。二年前にお茶ノ水の「山の上ホテル」で集まった中のお一人を私が勘違いしてお知らせをしてしまったのです。丁重に失礼をお詫びしてお悔やみをもうしあげましたが、当日になって、会場に娘さん達からのメッセージが届けられていました。「傘寿のクラス会、おめでとうございます」とありました。早くに三人の子供さんを遺して、御主人が海外で飛行機事故で亡くなられてしまったそうです。美容院を経営しながら幼い子供たちを育てたのでしょう。「貴女も頑張ったのね、良いお子さんたちに囲まれて、きっと幸せだったでしょう」と心の中で話しかけました。お一人お一人様々な事情を抱えながらも、この年まで生かされている、と云う事は残された短い時間を悔いなく楽しく笑顔で感謝して生きなければなりません。 亡き友のご冥福をお祈りしながら思いました。合掌。

 

メッセージ-2

 

        

 

クラス会のお知らせを、今迄に出席して下さった人達に出しました。欠席の人達は電話や手紙でお知らせが有りましたが、お一人の方が連絡なく電話も通じなかったので諦めていました。前日になって娘さんを名乗る方から電話が有り「母は八年前に亡くなりました」とのことで吃驚しました。二年前にお茶ノ水の「山の上ホテル」で集まった中のお一人を、私が感違いしてお知らせをしてしまったのです。失礼を丁重にお詫びしましたが、当日会場に着くと娘さんから「傘寿のクラス会、おめでとうございます」とのメッセージが届いていました。早くに御主人を海外で飛行機事故で亡くされ、3人の子供さんを美容院を経営しながら育てたのでしょう、中学生の頃の面影を偲びながら(貴女も頑張ったのね!良い子供さん達に囲まれ幸せだったのよね)と心の中で話しかけました。皆でご冥福をお祈りしました。 合掌

 

 

 

歌舞伎座のチケットを購入するのは、良い席を取ろうとするのは結構大変です。特に人気の公演ですと発売当日は電話もインターネットも通じないで困ります。やっと通じたかと思うと残りの良い座席はポツリポツリと空いているているくらいです。そこで、友達も誘わずに一人で出掛けるようになりました。最近は、一人旅、一人ご飯、等が流行っているそうですが、一人もいいものです。でも、賑やかなのも好き、毎日倖せです!

 

天草の初夏-2

 

井田病院の緩和ケア病棟が改装され三部屋増えました。今までの病室よりもスペースも広くゆったりとしています。

サンルームにお見えになって絵手紙を楽しまれた患者さんも、看護師さんの優しいケアーで落ち着いて過ごされて、私達も安心してお手伝いが出来ました。サンルームに来て下さる方は、体調の良い方ですので雑談を交えながら短い時間を過ごして戴けると嬉しいです。お部屋にお送りする時は、必ず「又、来て下さいね!」と声をお掛けします。本当に、次回も来て下さるようお待ちしています。

 

井田病院

 

 

 

3月、横浜のヨットハーバーから転落して亡くなった従弟78歳の散骨式がありました。私は参加しなかったのですが、話を聞いて新たな哀しみが込み上げてきました。2艇のヨットに分乗した所縁の人達、ヨット仲間が沖へ出てお花やブランデーを投じ、息子さんがトランペットで「マイ ウエイ」を吹奏して遺骨の一部を散骨し、愛した海に帰ったそうです。ヨットに乗り移る時に酔っていたのでしょう、板を踏み外して岸壁とヨットの間の狭い場所で翌朝みつかりました。北茨城の海で生まれ育った従弟が、なんで!どうして!と今でも残念です。茂夫ちゃん、有難う!又、会いましょうね!

 

天草の家-21

 

「子供の日」は薄曇り、時たま雨もぱらついて風も吹きます。その風に庭の盛りを過ぎた花水木が音もなく舞い遊びます。盛大に散ってゆきます。花水木の下のお地蔵様にも降り懸かります。つい先日、余りの見事さに窓辺に椅子を持ち出して眺めた花が、又、見事に散っています。諸行無常なのですね。でも、この先、夏の日射しを受けて秋には紅葉し実をつけ葉も落して、春には若葉も兆し又来年花を咲かしてくれる事でしょう。今年も有難う、又ね!

五月になって、お寺さんから戴いているカレンダーを捲りました。浄土宗月訓カレンダーです。五月の月訓は「悩みも答えもそれぞれ」とありました。「人は十人十色、考え方も感じ方も違います。違うからと云って避けないで。その違いを認め合うことから、良い関係がうまれます。」とあります。なるほど!ね。因みに、四月は「大切なことは、なかなか気づかない。」でした。これも全く納得です。

8日の天草行きの前に宅急便を出しました。忘れ物の無いように前もって準備をし持って行ってもらうとホットします。1月以来3月をお休みしましたので4カ月ぶり、楽しみです。最近考えること、今は一カ月おきに天草に行きますが、兄が15年前苓北町の「楽洋の里」でお世話になったように、私もそのうち、同居しているキミさんと一緒に川崎から天草に本拠地を移して天草の皆さんのお世話になり天草の海を見ながら暮らす事、いいですね。そして今度は反対に川崎に時々帰ってくるようにしたいです。そうしましょう!キミさんと話し合いました。

4月も駆け足で過ぎました。一日もすぐに夜になり、ひと月も短く感じます。楽しく毎日を過ごせることが、とても有難く思えてなりません。とは言え、世の中楽しい事ばかりではなく、辛い事や哀しい事もありますが、そんな時は何時までも思い悩まずに考え方を変えてみたり、哀しみ苦しみを心の奥の抽斗にしまって、明るく前向きな思考で過ごしたいと思っています。爽やかな五月を精一杯生きます。

車を一年定期検診に預け、代車をお借りしましたので神経を使いましたが、歌舞伎座から日本橋へ、そして帰路はオバマ大統領の訪日の時刻の直前で沢山の警備のお巡りさんで銀座通りや首都高速で何回も検問にあい吃驚しました。そのあとすぐに通行止めになったみたいで、危機一髪無事に帰り着きました。やれやれ、でも、楽しくいろいろあった一日でした。作ってくれた「くまもんお握り」も美味しく戴きました。

 

くまもんお握り-1

 

川崎市と東京都は多摩川を挟んで隣接しています。田園都市線で川を渡ると、二子玉川園の駅に着きます。河川敷が広く野球場やゴルフの練習場、散歩道など近隣の憩いの場所となっています。又、「にこたま」の愛称で親しまれ高島屋や高級なレストランやショップが立ち並び人波の途絶えることはありません。今日は紳士物の靴の買い物をしました。帰りはデパートの中のレストランが混雑しているので、近くの等々力「チャイニーズ・ティンパー」迄出向き夕食を済ませました。

 

玉川高島屋

 

 

 

少し忙しくしていると、部屋の中が雑然としてきて、あゝ、何んとかしなければ!と気持ちも落ち着きません。気をつけていても物は増えるばかり、以前「断捨離」と云う言葉を聞きました。物事に執着せずに無駄な物は捨ててしまう、と、云う事なのでしょうね。でも、簡単にそうはいきません。戴いた物は大事にしたいし、愛着のある物もあるしとても悩みます。少しずつ少しずつ心掛けていくしかないですね!

昨日の「スーパー歌舞伎」で思い出した事。カーテンコールは観客の拍手に促されて何回もありましたが、作・演出をなさった前川知大さんが客席から呼ばれてご挨拶、その他演技者は勿論ですが、20人余りの雑兵の一人ひとり、黒子が5人程、大道具さんと思われる人達10人位、この舞台に携わった人達が勢揃いをして最後のお別れになりました。

今迄これ程の千秋楽を経験したことはありませんでしたが、舞台を大事にしそれを構成する人達に心を通わせる猿之助さんのお人柄に感激しました。これからも、猿之助さんがスーパー歌舞伎のスピリットを継承し新しい舞台空間を創造して下さることを期待しています。

去年、4月29日に亡くなった鈴木 慎さんの一周忌法要を4月13日の日曜日に行うとの知らせがありました。

慎さんの着物をほどいて、巾着袋を作って参列下さる皆さんに使っていただくことになって、連日ミシン掛けをしていました。午後になって、また訃報があり私より一つ年下の従弟が事故で亡くなったのです。彼の唯一の趣味はヨットです。15日の土曜日、仲間と横浜のヨットハーバーに集まり、翌朝の出航の相談をして一杯飲んで夜10時ころ解散して自分のヨットに一人で引き揚げた切りいなくなってしまいました。ヨットに乗り移るところに彼のセカンドバッグが落ちているのが翌朝発見され、あさ8時、遺体となって引き揚げられました。元気な人で、現役で大型車を運転し病気一つしないで頑張っている日々でした。あまりのことに言葉も出ず、ショックが収まりませんでした。

遺体は、磯子警察に移され検視を終われば2~3日うちに無言の帰宅になるそうです。世の中って、なんと切なく哀しく胸が痛くなるようなことが、次々と起こるのでしょうか?あれから、何度も彼の笑顔を思い浮かべながら、冥福を祈りました。合掌。

金浦空港に隣接するE-marteでジン君が選んでくれたキムチの中で、オイスターキムチが抜群の美味しさです。イカやタコ、半分丸ごとの白菜キムチ、大根やキュウリ、冷麺のパック等、落ち着いたら皆さんに声を掛けてキムチパーティをしたいと思っています。楽しみです。

暮の川崎・横浜合同忘年会でプレゼントの交換があり、正行寺の白石洋子先生が出品されたパッチワークの手提げが井田病院のメンバーの中村求仁子さんにあたりました。とても素敵な手提げで中村さんが白石先生にお礼の絵手紙をお出ししたところ、先生からお返事を頂きました。白石先生は今筋肉の病気を治療中で、お花の絵に添えられた言葉の一部が読みにくかったので、私に見せてくれました。私は早速白石先生に読んでいただきました。

 

        「時は今 所足元 そのことに 打ち込むいのち 永遠(とわ)の みいのち(御命」」

 

という、浄土宗・増上寺を支えた増上寺第82世法主の椎尾弁匡師(しいおべんきょうし)の短歌でした。

今この瞬間を大切にすること。一期一会の気持ち、一生で最後の出会いだと思って接すること。まいにち、今日が最後の日だと思い、毎日、今日が最初の日だと思う。そうすると、今日を最善の日にしようと思うでしょう。明日があると云う保障はどこにもない。だから、今日と云う日、一瞬一瞬を一生懸命に生きる。出来る限りの努力をする日にしたいものです。また、私達はつい足元のことを忘れて、明日のことが心配になったり、昨日のことをいつまでも引きずったりしてしまいがちです。しかし、今、ここで、自分がなすべき大事なことに心を打ち込み、そうした毎日を生きて行く心掛けを持ち続けることこそ、本当の意味で人生の生きがいを感じ取ることができるということです。それがやがて「私と云う個のいのち」から「永遠のいのち」に結ばれていきます。

人間だから、その心掛けが時には、煩悩によってゆるむこともあるでしょう。だからこそ毎朝スタートを切る時、その心掛け、志を大切にしたいですね!」

 

最近、箪笥の奥からピンクの背中だけの綿入れが出てきました。私がまだ学生だったとき、母が絹綿を入れて作ってくれた綿入れです。6~70年経っている筈ですのに、綺麗なピンク色の絞り柄も昔のままに、早速毎日背中に背負っています。もう30年近くの昔に亡くなった母のぬくもりを毎日肌で感じています。幼かったころのことも思い出します。節分には、母が用意した福豆を兄が大きな声で「福は内!鬼は外!」と家じゅうに撒いて歩き、この豆を年齢の数だけ食べて厄除けをし、家の軒下に柊の枝に鰯の頭を挿して飾って邪気除けをしたり・・・・、と上野の下町で育った懐かしい、善き思い出です。知り合いが3日の節分には、3万円の大枚を払って東京・目黒のお不動さんに会社を休んで豆まきに行く、話を聞いて昔の懐かしい風景を思い出しています。

10日に川崎を出て黒川温泉へ、14日に天草入りをし絵手紙教室や新年会を済ませ、今日川崎に帰ります。月末迄滞在していたかったのですが、25日お寺さんの集まりがありますので、帰宅することにしました。以前は、九州産交の森田さんに搭乗券の発行を前もってお願いしていたのですが、最近は直接阿蘇くまもと空港で当日に買うことにしています。往復の日にちが、自分の都合の良い日を選べますので好都合です。寒さは厳しくても連日の好天に恵まれて楽しい日々でした。次回3月には、天草のお花見も出来ることでしょう!お世話になりました、有難うございました、お元気で又、お会いしましょう!

 

 

 

 

志柿にお住まいの宮崎記代子さんについて、折にふれてはお話しさせて頂いています。

今回も、新年会の会場に彼女の絵をお借りして皆さんに見ていただきました。

闘病中に感じられたこと、文字にし絵に託して心境を語られます。今年も病気に負けず、明るく前をしっかり向いて活躍して下さるよう祈っています。

宮崎記代子さんの絵-1

 

 

宮崎記代子さんの絵-2

 

 

 

早速幹事さん達に集まっていただいて18日(土)の新年会の打ち合わせをしました。今年の会場は、苓北町の「天草洋」にお願いし、送迎バスの手配、会計、受付、司会者、演芸、景品の準備等それぞれ役割を決めて、兎に角楽しく盛り上げましょう!と早くも準備会で盛り上がりました。

天草に来て初めての会食でしたので、ミニおせちを用意して乾杯し今年のご挨拶にしました。

因みに、おせち料理にはそれぞれ意味があって、一年の門出を祝うにふさわしい味わいなのだそうです。①お煮しめ;家族が仲良く一緒に結ばれるという願い②昆布;七福神の恵比寿神を表し「よろこんぶ」「子生」で子宝を授かるように③ふきのうま煮;富貴と云う字をあてて、豊かな生活が得られることを願います④海老;海老は脱皮を繰り返して成長するので生命の更新を象徴していて、腰を曲げた老人にもたとえて、長寿を願います⑤田作り;田植えの際にカタクチイワシを肥料にしたことから「田作り」と呼び豊作への願いが込められています⑥黒豆;マメに健康で働く事が出来るように無病息災を願います。⑦ほたて;殻を船と帆にたとえて「順風満帆」を祈念する⑧なます;ニンジンと大根の色合いに加え、大地に根を張る大根やニンジンのように、家の土台がしっかりして栄える。まだ沢山ありますが、なるほどなるほど・・・・です。

川崎を10日に出て、5日ぶりに天草に着きました。黒川温泉からバスで熊本交通センターへ、ここで天草号に乗り換えて本渡バスセンター迄長い道のりですがお天気もよし、結構楽しめました。帰りは、熊本までの途中、阿蘇西駅まで登りますので噴煙が立ち込めるのがすぐそこに見えます。昨日小規模な爆発があったそうで、ケーブルは動いていませんでした。外輪山の威容、カルデラの雄大さ、阿蘇は何時見ても心が洗われるような気がします。

黒川温泉の宿には、次回の予約は入れませんでした。何時何が起こるかも知れず、約束を守れないことを考えて一寸躊躇しました。又、行けるといいのですが!先の事は先になってからですね!

今年初めての天草行きです。年末年始とあまりにも慌ただしくしていましたので、予約を入れていた通り、黒川温泉に直行し一寸ゆっくりしようかと思います。奥黒川温泉「山みず木」の佇まいが気に入り、中居さんの応対もきめ細やかで気に入っています。ゆっくり、とは言ってもやり残したこともあり、いろいろと持ち込んで行きます。お天気が良ければ、阿蘇の火口も又覗いてみたいと思います。





暮の30日に旅立った茨城県北茨城市の従姉妹の告別式が今日行われました。

私は大晦日に行ってお別れを済ませ、今日は出席出来なかったのですが思いを馳せました。

納棺の日、住職が漁師町の葬儀についてお話をされましたが、所により例外はあるものの、暮の25日からお正月の松が取れる7日までの間、仏事は一切行わない習慣が昔からあるそうです。海の自然の恩恵を受け、又今回のような大きな災害を蒙りながらも、自然と共に生きる漁師町の人々の生きざまが理解出来ました。従姉妹の生まれ育った家は、(いさばや)と云って浜に上がった魚を買い付けて加工する家でした。疎開をしている時、伯母が真白い手ぬぐいをあねさん被りして沢山の手伝いの人達の先頭に立って働いていた姿が今でも目に浮かびます。従姉妹は90歳という過不足のない生涯を、幸せであった!と思って孫や曾孫に見送られて旅立たれたのは、文字どうり幸せであろう、と思いました。又一人、彼岸へ渡りました。寂しいけれども無常の世の習い、心からご冥福をお祈り致します、合掌。

 

花々-20

 

 

 

 

暮の30日、危ぶまれていた従姉妹が11時16分、静かに息を引きとりました。

90歳、遺言通り延命処置をせず静かな最後だったそうです。視力もかなり低下していたのですが、前日、娘が「おかぁちゃん!おかぁちゃん!」と呼びかけたら、はっきりと「はぁ~い・・・」とこたえたそうです。私と姉は、戦争中縁故疎開をして世話になり、また、母が倒れてからも故郷の大津へ行きたいと云うので連れて行き、従姉妹たちの世話になりました。姉達と相談し、年も新しくなることだし、兎に角、行きましょう、と相談もまとまり北茨城市までの約3時間の道のりを早朝二台の車で出掛けました。あと30分もすれば到着と思われた10時過ぎ、携帯の地震アラームが鳴り茨城県北部を震源とする強い地震があり高萩市で震度5弱を記録したとの警報でした。まさに震源地を走っていたわけです。車では、地震はあまり感じないのですが電線がかなり大きく揺れていました。この地方の人達は「これくらいの地震では驚かない」と聞いてびっくりしました。

(枕経)に間に合って、綺麗な顔で安らいでいる従姉妹に「有難うございました」と最後のお別れをし、ご冥福を祈り帰宅しました。いろいろ感じた事、又次回お話させて頂きます。合掌

毎年、7月と年末、植木屋さんが来て庭木の手入れをしてくれます。もう家を建てたときから30年近く、ご主人と奥さんと二人で一日がかりで綺麗にしてくれます。千両、万両の実も赤く水仙の蕾も大きくなってきました。主人が逝ってから16年、庭を眺めながら本を読んだり、テレビの「鬼平犯科帳」「必殺仕置き人」等の時代劇を視たりしていた主人を、何時も座っていた場所に想像しています。お蔭さまで今年もこうして年の瀬を迎えることが出来、それほど長い先行きではないであろう日々を大切に過ごしたいと思っています。

 

我が家の初冬-2

 

 

 

北茨城市の90歳になる従姉妹が施設に入所しました。

戦時中縁故疎開をしてお世話になった従姉妹です。数年前から視力が落ちていましたが、一人で頑張って生活していました。息子さんが傍にいて付き添い、川崎に住んでいる娘二人が交代で通っています。今日の話ですと、姉妹揃ったところで相談の上、持っていた遺言書を開封したそうです。13年前に書かれたもので「延命治療はしないように、姉妹仲良く暮らすように、幸せな人生であった、有難う」等々書かれてあったそうです。従姉妹の長き人生を思い、感謝の思いで涙が止まりませんでした。ひ孫の顔を見て分かったみたいで名前を呼んだそうです。大正・昭和・平成の激動期を力強く生き抜き沢山の人のお世話をし慕われた従姉妹の安らかな療養を祈らずにはいられません。

 

天草の中秋の月

 

終わった!やった!11月10日、川崎を発ってから23日間、今回は今迄で一番長い滞在になりました。風邪がなかなか治らず難儀し三曲会の練習も気に掛けながらも儘ならず、とても出演出来る状態ではありませんでしたが、松下あつ子先生はじめ皆さんのお蔭で一応、終わらせることが出来てホッとしています。打ち上げの「反省会」でも、励まされ、又頑張らねば!と云う気になります。尺八の先生方もご一緒に一杯飲んで楽しい反省会です。私にとっては、かなりストレスもあり重荷でしたがこうして終わってみると、良かった!頑張ってよかった!大変だったけど頑張って良かった!と、つくずく思います。

楽あれば、苦あり。来年は午年で「塞翁が馬」という中国の諺がある通り、世の中いつも悪いことばかりでもなく、良いことばかりでもなく、糾える縄の如し!なのですね!

12月も忙しい毎日になりそうです。でも、歌舞伎座へ行ったり兎に角元気で予定を消化出来ることは、最高に有難く思います。帰宅した庭に色とりどりの落ち葉が積り、お掃除をしてくれているキミさんの姿をガラス窓越しに眺めながら、我が身の幸せを感謝した一日でした。

 

達成感

 

風邪が長引いたまま天草に来ました。私がやや治りかけたかなぁーと思っているうちに、キミさんに移ってしまいました。志岐集会所の帰りに、二江の「楽洋クリニック」に寄って渡邊先生に診ていただいて薬を頂きました。午後の患者さんが立て込んでいる中、渡邊先生は何時も優しく、とても丁寧に診察して下さって安心します。ちょっと休んで早く治します。

 

ここ数年、風邪をひかないのが自慢でしたが、簡単に風邪をひきました。11月に入って夜具を冬用に替えたところ夜中に布団を剥いでしまったらしく、それが原因でした。一寸安静にしているうちに治るだろうと思っていたのですが、近くのクリニックで薬を頂いて飲み始めましたが、すぐには治りません。咳も出ますのでお寺のご詠歌も歌えるか!心配でした。お寺で小林身知子さんからトローチと飲み薬を頂いて直ぐに飲みました。これが、とても良く効きました。法要中、咳も出ないで一寸風邪声ながらまあまあ無事に終わって安心しました。茶飯のお握りとおでんの例年のご接待をご馳走になり、帰りに白石先生の妹さんが青森からお手伝いに見えられ、青森県佐井村漁業協同組合の「津軽海峡産・甘塩うに」をお土産に頂いて帰ってきました。これが又、口に合いました。しお加減も私好み、夜中水分を補給しながら一瓶空にしました。朝になっておかゆに混ぜながら食欲も出てきて気力が戻りつつあり、これで数日内に天草にも出掛けられそうになりました。皆さんのお蔭でもう大丈夫です。井田病院の絵手紙がお十夜と重なってしまって、岩崎せつ子さんと中村求仁子さんにご迷惑をかけました。患者さんや看護師さん達が見えて楽しんでいただいた、と報告がありこちらも有難うございました。とても、好い日一日有難うございました。

11月になってお布団を冬用に交換し暫くはこれで安心!と思っていたのですが、夜中にお布団を剥いでしまったらしく風邪をひきました。ここ2~3年、風邪をひかなかったのですがちょっと忙しかったので疲れていたのかもしれません。薬を飲んで無理をしないで寝たり起きたりしています。今日から川崎・横浜の絵手紙教室が始まりますので、頑張って天草行きの準備も始めたいと思います。風邪は万病のもと、気を付けたいです。

HPの書き換えをご無沙汰していました。毎日忙しく雨風の中、いろいろと予定を消化し、やっと一段落着いたような思いでホッとしました。来年のカレンダーの原画の用意、今月いっぱいに印刷屋さんに出さないと年内間に合いません。年賀状や忘年会、新年会の準備を幹事役の皆さんと相談して会場などを予約します。11月7日(木)は、正行寺さんの「お十夜法要」です。お十夜が終わると、すぐに天草行きの準備に入ります。

今日は久しぶりに午後からテレビで「相棒」の録画をゆっくり視ることができました。

楽しみながら好きな事の出来る幸せを感じます。

明日から少しゆとりを以て天草行きの宅急便の整理にかかります。

10月になって、そろそろ来年の「絵手紙カレンダー」の準備をしなければなりません。一寸趣向を変えて今年皆さんにも描いて頂いたIKEAのデスクスタンドをモチーフにしたいと思い、例年印刷をお願いしている、神田神保町の「ワコープラネット」の朝賀さんに資料を持って伺い、相談しました。デザイナーと一緒に考えてみましょう!と云って下さって楽しみです。神田神保町の周辺は学生時代に良く歩いて、古本屋を覗いてみたりした懐かしいところです。その頃は、お茶ノ水駅から歩いたりしましたが、今では東京メトロが縦横無尽に網羅され便利になりました。

10月になってもジリジリと真夏並みの暑さに辟易しながら帰宅を急ぎました。

 

行燈に絵を描く-1

 

 

 

10月5日(土)、天草から午後4時に帰宅、6時から長姉の満86歳を祝う食事会に出席。姉は12年前に連れ合いに先立たれ今年は13回忌を迎えます。子供3人、孫11人、曾孫4人、総勢23人の賑やかな会食になりました。姉は、お洒落をしプールに通い元気に過ごしています。幸せそうな姉の笑顔に私も癒され励まされ、いつまでもいつまでも元気でいてほしいと願いました。

そして、同じ日に先輩の訃報の知らせがありました。東京杉並区西永福町で薬局を営み享年88歳でした。告別式に間に合ってお別れが出来ました。柩に納められた白衣を見て胸が一杯になり思わず「お疲れ様でした!」と合掌しました。

 

「人のこの世は長くして 変わらぬ春と思いしに・・・・」かたや長寿を祝い、かたや旅立つ人、いつ何時吾身に起こりうるやもしれぬ人の世の無常に、厳粛な気持ちになりました。長い命を生かされてきた今は、何事もみ仏の思し召しの儘、只、日々心豊かに感謝の気持ちで悔いなく過ごしたい、と願うばかりの1日でした。

昭和11年10月1日生まれの中嶋キミさんが、今日77歳喜寿のお誕生日を迎えました。ご本人は、気付いているのかいないのか、何も言いませんがお食事をしましょう!と、云う事でお昼に「はなれ利休」に集まりました。バースデーケーキに大きな蝋燭が一本灯され、ハッピーバースデーを歌い始めて吃驚したのでしょう、顔を輝やかせて皆さんにしっかりとお礼を言いました。形ばかりの乾杯をし、何時までも元気で幸せな日々を過ごしてもらいたいと願っています。キミさん!お誕生日、おめでとうございます。

 

キミさん・77歳のお誕生日

 

 

エコキュートのボイラー点検で3連休の為、部品の取り寄せが遅れペルラの湯に出かけ温泉に浸かりました。台風18号の余波で風がやや強く海は波立っていますが、結構込み合っていて賑やかです。久しぶりでサウナも楽しみゆっくりしました。たまにはいいものです。次回はあまり混んでいないと気を狙ってゆっくりお食事もしたいと思います。

9月8日(日)早朝、現地時間7日、ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)の総会で、2020年夏季五輪の開催都市に東京が決まった。今から半世紀前のあの感動を思い起こし、改めて喜びが湧いてきた。7年後迄命があるかどうかも覚束ないが、若い人々に得難い経験を通じて日本の将来をしっかりと担ってもらいたいと思っています。反面、亡くなった主人の友達から「東北の震災の被災者救済や、東京電力福島第一原発のほうが大事だろうに!!」とのメールも来ました。どちらも大事です。今、出来ることを日本人一人ひとりが全力を尽くすべきだと思っています。最終プレゼンの皆さんのスピーチのとても感動的でした。

茨城県つくば市にお住まいの島崎先生は多摩美大を出られグラフィクデザイナーとしてご活躍ののち、絵手紙を描かれご本も数多く出版しておられます。私も、まだお会いしたことのない先生からご本を通じ、又電話などで教えを請い親しくさせて頂いています。先日、「磯より潮の満つるとき」をお送りし読んでいただきました。

「大切な身内の方々や、かけがいのない深き有縁の人に対して、いかなる法要もこの一冊に勝る供養があろうか・・・」

そして、明日を知れぬ日々に今、書いておかねばならぬ事ども、を書く事が出来て本当に良かったですね!との励ましの言葉を頂き大変恐縮しました。島崎先生、お忙しいお時間を頂戴し有難うございます。先生のお手紙はが額装し私の宝に致します。

 

島崎昌美先生

 

7月、天草滞在中に天草第一病院で初めての健康診断を受けました。今までにも毎年お知らせを頂いていたのですが、今回が初めてです。結果が肺に影があるとのことで連絡を受けましたので、川崎市立井田病院に診察に行きました。新装なった井田病院は沢山の患者さんで混雑しています。火曜日の内科の外来診察は、緩和ケアセンター長の宮森先生で私にとってはとてもラッキーです。宮森先生は16年前に、肝臓がんの主人を看取って下さった優しい先生です。結果は若い時に患った肺浸潤の癒着の痕で心配ないとのこと、ホッとしました。

帰りの道すがら、残暑とは言え赤トンボが車のフロントガラスに群れ飛び、「主人が私を護ってくれている、人のお役に立つように、まだ生かされている!」最悪の事も念頭にあった後の事でもあり、胸が一杯になりました。来月には、天草第一病院に行って検査の結果を報告しようと思い、感謝の忘れられない一日でした。

隔月の天草行きには、何時も荷物を宅急便で送っています。今月は一寸早目に新横浜の「IKEA]から直送しました。受け取り先を苓北の舩越啓子さんにお願いし、まずホットしました。これから出発までに細かい品物を用意して送らねばなりません。何事も、早目に準備するように気をつけています。夕方のテレビで熊本市内が大雨になったとのこと、こちらは曇り空でも雨は降らず暑い一日も夕方になって風が出てきて、いくらか凌ぎよくなり助かりました。明日は井田病院です。

6月は慌ただしく過ぎましたが下旬になって少し時間の余裕が出来ました。障子屋さんに来てもらって、家の障子を全部貼りなおして貰って部屋が明るくなりました。仕事机の周辺を整理し始めたら、次から次へと終わらなくなり大変でしたが大分すっきりしてきました。新横浜の都筑インターの近くに「IKEA」と云うスエーデンの輸入家具や雑貨品を売る大きなショッピングモールがあり、そこで買い求める行燈風のデスクスタンドがとても気に入り、暇をみてはいろいろと描いています。亡くなった姉が好きだったカサブランカに姉の戒名を入れ灯りを点けたら姉好みの一品に仕上がりました。

今年は新しい仏さまもいますので又、描き続けようと思っています。

 

行燈-11 行燈-8

 

 

 

 

 

川崎の現在の家は、昭和59年9月に完成した家ですのでもう30年近くになります。近所の方の紹介で知り合って建築をお願いし、その後も何かの時はすぐに来てくれて世話になっています。社長も77歳になり、心臓を患っていますが、連絡をすると職人さんを回してくれて修理をしてくれています。今日は電話があって、近くに来ている、とのことで寄ってもらいました。職人さんを二人連れてきて細かい点検をしてくれて、障子の張り替えや他のことも頼みました。大分、痩せらましたが大事にしてもらわないと皆が困ります。久し振りに会って少し安心しました。良かった!!

NHKと民放5局の電波送信が31日午前9時、東京タワーから東京スカイツリーに切り替えられました。半世紀以上に亘ってテレビやラジオの電波を放ち続けた東京タワーは今後、予備電波塔として「最後の夜」となった30日は、開催都市決定を100日後に控えた2020年夏季五輪の招致イベントがあって、青、黒、緑、赤、黄の五輪カラーのライトが灯され、五色の風船がそらに放たれ、名残を惜しみました。長い間楽しい東京のシンボルとして楽しい思い出を沢山遺してくれました。有難う、お疲れさまでした。

8日に川崎を発って黒川温泉で3泊、11日天草に着いてから8日が経過しました。絵手紙教室を3か所終わって、食事をしたりおしゃべりをしたり明日は川崎に帰ります。今月は21日~22日と鎌倉光明時で例年のご詠歌奉納大会がありますので、その準備で天草での滞在も何時もより短く慌ただしかったのですが、松尾造園さんが庭の垣根や植木類の手入れをして下さり、金木犀と紅葉の大きな木の植栽も終り、一新しました。午前中に掃除を済ませ、午後はハローマダム翔美容室のお世話になってすべての予定を済ませることが出来ました。次回7月はきっと暑い日々であろうと思います。霧島温泉への小旅行も計画されているそうで楽しみにしています。

 

次は7月

 

黒川温泉は忘れられない処です。主人が元気でいてくれた頃、菊池市在住の叔母と従姉妹と私たち5人で訪れました。叔母も亡くなり寂しい思いですが、落ち着いた山間の風情が気に入ってお世話になっています。宿の運転手さんに黒川特産の「きく芋」が糖尿病に効き目がある、とお聞きして糖尿を患っている知り合いにお土産に買いました。スライスして乾燥しそのままポリポリ食べてもいいし煎じてもよし、又瓶入りの粉末もあって食べやすくなっているのも有りました。機会があったら良く調べてみたいと思います。

 

きく芋-1 きく芋-2  

今日7日で川崎の絵手紙の予定が終わり、明日は天草へ出掛けます。今月は一寸中休みで熊本県阿蘇郡南小国町の黒川温泉で小休止しようと思います。 自分より10歳も若い人の旅立ちを見送り落ち込んでいますが、私の長姉が84歳で元気にお洒落で、とても前向きに生活している佳きお手本がいますので、私も、兎に角毎日を笑顔で感謝で楽しく、悔いなく、生きる事を心掛けようと改めて感じました。

かわさき南部斎苑で執り行われたお通夜と告別式に引き続き初七日の法要も終わりました。息子さんに抱かれ奥さんと娘さん夫婦、お孫さんと一緒に無言の帰宅です。私はこの日のことを決して忘れることはありません。「死ぬ事」は怖くない、自然の摂理で自然に帰ること、それまでの与えられた命をよく生きること。私は故人に感謝の意を伝える最後の手紙を託し棺に入れてもらいました、又、会いましょう、と伝えました。お疲れさまでした、有難うございました。

親しい人の旅立ちで、身体から力が抜けてしまってただ呆然としています。遺体と対面しても穏やかな寝顔で、今にも目を覚ましそうで余計に哀しみが込み上げてきます。16年前、主人を見送った時のことが昨日のことのように甦ってきました。明日は、納棺。お通夜、告別式、と続きます。痛みもなくなって楽になったのよね、と虚しく冥福を祈るばかりです。

前々日、北茨城に従姉妹のお見舞いに行き、何十年ぶりで小学校の同級生に再会し、名前も覚えていてくれて声を掛けられた嬉しさは時間が経っても薄らぐ事はありません。早速お礼の手紙をしたため奥様にもお礼を伝えました。

今、友人達とティッシュケースにお花を飾ったりビーズを付けたりして楽しんでいますので、宅急便の中に入れました。山形貞治さんのお話では「震災以来みんな散りじりになってしまったので、集まれなくなってしまった」とのことでしたが、いつの日か機会があったら。是非出掛けたいと思います。

 

ティッシュケース-5

 

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