一つ一つ用事が片付いていきます。時間が出来ると、「ゆらゆら金魚」「帯のバッグ」「小物入れ」等、やりたい事いっぱいです。今日は、右手首がちょっと痛くなりました、アイロン掛けと裁ちばさみの使い過ぎで(腱鞘炎)の前兆です。あまり根を詰めずにやりましょう!

小物入れ
川崎市立井田病院は大規模な改装が進んで、今は立体駐車場の工事の最中です。建物も立派で、最新式の医療機器が取り揃えられて、以前とは見違えるようになりました。緩和ケア病棟は一般病棟とは別棟になっていて、立ち入り禁止になっていますが、廊下の片隅やさりげない場所に心のこもった気遣いがみられます。患者さんやご家族の方達の癒しになるように、絵手紙もその一つですが、今日は小さな可愛らしい植物を見つけました。思わず立ち止まって眺めました。

可愛い!
4日に帰宅して一週間が経ちました。この間、留守中の雑事を片付けたり買い物に出掛けたり、来訪者があったり、絵手紙のお返事を出したりして、やっと一段落しました。なるべく外出しないように、ゆっくり過ごします。

模様替え
寺谷住宅の絵手紙で、むくげの花が画題になりました。まだ、主人が元気な時、庭の一隅に屋根をつけて、皆でBQを楽しむ場所を作りました。その傍らにむくげの木があって、毎年綺麗な花を沢山付けてくれました。今、その場所はお仏間になっていますので、むくげの木も取り払われて見ることは出来ません。でも、この木の下に佇む主人の笑顔が私の中に鮮明に残っていて連想してしまい、20年の長い時間も一瞬にしてあの時に戻ります。久し振りに手にとってゆっくり眺め、主人と再会、時間を忘れました。

むくげ


昔、使っていた焼き物の火鉢を、今は庭に出してメダカを入れたり睡蓮を入れたりしていますが、朝蕾が開きました。
緑の葉の間から紅色の花が綺麗です、それ程大きくないのも、いいですね。清々しい気持ちで一日が始まります。

7月・正行寺の庭-3
天草滞在中に、ヤフーオークションで落札した帯が川崎に届きました。
天草のPCのYE先生にオークションに関する事をいろいろ教えて頂いてやってみました。落札の仕方やコツ等、あるそうです。今回は、先生に手伝って頂いて、5月に行った新潟十日町の帯屋さんのでしたので安心して、初めての落札でした。出品作の見方など勉強になりました。

ヤフーオークション
「芸文祭」で帰宅が延びましたが、今日は川崎に帰ります。忙しく、でもとても楽しい毎日でした。暑い一日になりそうですが、沢山の思いをお土産に致します。明日からも川崎での皆さんが待っていてくれます、健康でいられる事の有難さ、平穏な日を送れる事の有難さ、一日一日を大切に、又の天草を楽しみにしています、沢山、沢山、有難うございました。

ミゾカ号


7月3日(日)、天草市民センターで「芸文祭」が終了して、観に来て下さったみなさん7名で、「旬彩 おがわ」に行きました。今回の滞在でお世話になった皆さんとの最後の夕食です。ステージも無事にすんで、冷たいビールのなんと美味しいこと、お料理は「花篭御膳」、ビールもお代わりして最高!早めに運転の代行を頼んで帰宅、天草の皆さま、有難うございました、又、次回は9月にお邪魔させて頂きます、お食事もご馳走様でした。

「旬彩 小川」

今日は宮崎裕美さんに可愛らしい小物入れの作り方を教えて貰いました。思ったよりも簡単でテーブルに置いても便利です。早速作り方と見本を荻原照子さんに送りました。彼女もいろいろなボランティアに参加しているので役に立つと思います。

可愛い小物入れ

毎年、夏の前に金魚の風鈴の様な飾り物を作ります。12ミリの鈴を付けるのですが鳴りません。車の邪魔にならない場所に吊り下げたり、室内にでも使っていただいて少しでも涼しさを感じて貰えると嬉しいです。リボンの折り方も大分慣れて説明書を見なくても大丈夫です。ピッチを上げて沢山作ります。


ゆらゆら金魚

今日は午後から下田温泉・白鷺館での絵手紙体験に出掛けました。天草絵手紙の会の皆さんに描いて頂いたうちわや絵手紙を、熊本から避難していられるご家族にお届けする予定でしたが、西海岸を南下するうち、都呂々のあたりで大きな岩石が路上に落ちて通行止めになっていました。苓北に戻って、苓北クリニックの倉本院長先生にお願いして帰宅しました。お会い出来ずに残念でしたが、下田のお湯に癒されてお元気にお過ごし下さい。
6月20日(月)、天草市佐伊津町の「慈晃園ディサービス」に天草三曲会のお箏のメンバー4人と司会をして下さる錦戸さんでボランティア演奏に行きました。私は、お箏でのボランティアは初めてですので緊張しましたが、易しい曲ばかりでしたので参加させて頂きました。天草小唄、あめふり、雨降りお月さん、ほたる、浜千鳥、ここに幸あり、ラバウル小唄です。とてもいい声の方がいらっしゃって上手に唄って下さいました。喜んで頂いて良かったです、有難うございます、お疲れ様でした。(カメラの不具合で写真撮影が出来なくて残念!)
八代行きは、田畑さんの運転で9時に出発、雨が降る中最新式のナビを使って、伊藤さんの家まで到着しました。途中、不知火に入ると、各所でブルーシートで屋根を覆っている家々が多くなって来ます、中には、見ただけで傾いている建造物もあります。八代も強い地震に襲われて被害が出ているそうですが、そんな中お邪魔させて頂いて申し訳ない思いでした。一日も早く平穏な日々が訪れますように祈りました。

八代の被災地
ブロッコリーとカイワレのスプラウトの芽が出始めました。小学生に戻ったみたいに観察日記を書きたいくらいの楽しみです。水を取り替えるときちょっとワクワクします。今日はこれくらい、まだ食べられません!

私のキッチンファームスプライト


羽田空港から、約1時間半のフライトで阿蘇くまもと空港に着きます。くまもと空港内部も地震の影響で「香梅庵」などの店舗がまだ休業して、ところどころ「危険・立ち入り禁止」のテープが痛々しく貼られています。「がんばろう!くまもと」のポスターや横断幕も各所に挙げられています。天草エアラインに搭乗して、熊本市内の様子を機内から見れば住宅の密集地では、ブルーシートが市松模様のように覆われて、梅雨入りした日々が心配です。我が家は物が落ちたり、壊れたりと云う事もなく一安心です。すっかり水平線のかなたに隠れた夕日の輝きを久し振りに見られて、これからの天草での日々を楽しみにしています。皆さん、宜しくお願い致します。

久し振り・天草のサンセット
お寺で、ご住職の法話を聴いたり、阿弥陀様のお顔を仰いだり、時には目を閉じて亡き人を偲んだり、そのようなひっそりとした時間が好きです。正行寺は浄土宗で加藤家の菩提寺です。義母が浅草から横浜に移ってきたとき、東京のお寺さんでは遠いので、自分で方角など調べて、近くの正行寺さんにお願いすることにしたのです。その時の事、義父の事、主人の事、71年前の東京大空襲で義母の背中に負ぶさりながら逃げ惑う途中、防空頭巾に火が付き、一週間後に火傷で亡くなった、主人の幼い弟、次から次といろいろな思いが胸中を駆け巡り、そっと泪を拭きました。遠くない将来、この人達に再会する時は、沢山、沢山お礼を言いましょう、弟・良三ちゃんには、はじめまして、とご挨拶しましょう、死ぬことは、残された人の心の中に生きる事、私の命がある限り、みんな、みんな、私の心の中に生き生きと生きています

大施餓鬼会奉修-6
今日の聖路加国際病院のギャラリーで「Bag & Pouch Festival」と題して、帯や着物をアレンジした小物の出品販売がありました。私も今、夢中で作っているので参考にゆっくり見させて貰いました。女子美術大学産業デザイン科卒業、東京芸術大学大学院修了、という立派な経歴をおもちの女性でした。センスの良さ、作りの手の綺麗なこと、見事なバッグですが、お値段が12、000円というので二度びっくり、とても手が出ませんでした。

帯のバッグ
先日のオバマ米大統領の広島訪問を「どう思いますか」という朝日新聞の投稿欄に沖縄の和田静子さんの記事が掲載されました。中学・高校と同じ学校でしたので、クラス会のメンバーにコピーをして渡しました。以下全文です。

「日米首脳は戦時の過ちを認めて」 和田静子  (沖縄県 81歳)
 オバマ大統領が広島を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花をするという。安倍首相も同行する予定だ。二人はどんな所感を述べるのだろう。 碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」に主語はないが、原爆を投下したのは米国の過ちだ。また、天皇制という国体維持にこだわって敗戦の決断を遅らせ、原爆投下の口実を与えたのは日本の過ちである。原爆投下に先立つ沖縄での地上戦の時点で、すでに日本の敗戦は必至だった。米国の「原爆によって戦争終結の時期を早めた」という云い訳は通用しないと私は思っている。オバマ大統領と安倍首相には、二人そろって「米国は、日本は、過ちを犯しました」と明言してほしい。そうすれば、「核なき世界を」という訴えに、国際社会は耳を傾けてくれるだろう。

という記事でした。如何にも和田さんらしい発言に私も同感しました。

朝日新聞
新潟から頂いた玄米を精米機に掛けました。5合用の小型の機械ですが、短時間で面白いように、温かい白米と糠が出来ます。お米は直ぐに炊飯器に掛け、糠はお鍋で乾煎りしてぬか床に使います。機械を出したりしまったり、と面倒ですが、美味しいご飯が炊けて大満足!

精米機


前回、銀座のふかひれ専門店「筑紫楼」でクラス会をやってから2年が経つのでしょうか、前回はあまり感じなかったのですが、みんな、目に見えて体力が落ちて居るように思われました。勿論私自身も含めて、「又、会いましょうね!」とは云うものの、大丈夫かしら?と心配です。風月堂のクリームあんみつも美味しかったし、おしゃべりだけは賑やかでしたので、本当に、本当に、又、お会いしましょう!!

クリームあんみつ

賢島のホテルで開催された「伊勢志摩サミット」では、名産の松坂牛や伊勢エビ、あわびのおもてなしでしたが、お土産は熊本の肥後象嵌を施した万年筆、ご夫人には、鳥羽真珠のネックレスが贈られたそうです。熊本が誇る技術が選ばれて嬉しいです。ますます、熊本、頑張れ!です。
竹台中学のクラス会が4日後になりました。ま子ちゃんからお手紙を頂いて、先月お姉さまが亡くなられ29日に納骨することになり欠席します、と残念です。お誘いした西町中学の丸山敏郎さんが出席して下さるので、人数に変更なし、大沢先生のお話相手になって下さると思います。前回会計を担当してくれた土屋宏子さんからお電話を頂いて、会計が3000円ばかり余っているから、と知らせてくれましたが、会計を溝くんとお二人にお任せなので宜しく、とお願いしました。荻原照子さんが何時も手作りのお土産を持ってきて呉れるのですが、今回は無理!というので私が頑張って帯のリフォームバッグを人数分作りました、こういう特殊な物は、それぞれ趣味があってあまり好まない人が居るかも知れません、使って下さると嬉しいです。

クラス会のお土産
水野賢世先生は、小田原の「阿弥陀寺」のご住職です。細身でお背が高く、私達にご詠歌やお舞のご指導をして下さいます。いつぞやは、(平家物語)の琵琶の弾き語りのご披露を目の前で拝聴して感動しました。ご挨拶で「長生き出来る事は素晴らしい事ですが、どう生きるか、が大切です。一年一度の大会ですが来年も元気で、笑顔で、お会いできるよう阿弥陀様にお願いしましょう」と結ばれました。大殿の四方の窓を開け放って、鎌倉の材木座海岸の海風、背後の天照山からの緑の風が法灯の焔を静かに揺らしています。私達が自由曲でお唱えした和歌山県にある「報恩講寺のご詠歌」は浄土宗の元祖法然上人の御作で「極楽も 極楽も かくやあるらん あらたのし はや参らばや 南無阿弥陀仏」という短歌を松濤 基先生が作曲されたご詠歌ですが、極楽はこのような所かしら?と思える程荘厳で心安らぐ思いでした。参加30寺、参加者231名、年ごとに減少していますが、今年も参加出来て有難い事、と感謝の一日でした。

鎌倉光明寺-4
「新潟のお知らせ」にお話した田代部落から街中に移住した人達の中にキミさんの又従姉にあたるさかえさんがいました。父親が街中の生活になじめず、さかえさんを連れて又、部落に戻ってしまいました。栄さんは軽い知的障害を持っていて、私も父親が亡くなって柏崎の施設に入ったときに会いに行きました。大人しい静かな人でした、キミさんと同い年です。。さかえさんが今年2月に胃がんで亡くなりキミさんのお墓に入りました。さかえさんの事も念頭にあり今回お参り出来て本当に良かったと思い、さかえさんのご冥福をお祈り致しました。さかえさん、ながいことお疲れ様でしたね、安らかに眠ってくださいね。

蓮の花
南の宝の島、天草は夏場の時期を除いて一年中いろいろな美味しい柑橘類が生産され出荷されます。今の時期は晩柑が最盛期ですが今年は例年よりずっと早く、そろそろ収穫も終盤になっているそうです。とてもジューシーで爽やかな甘さの、私の一番好きな柑橘類です。何時も庭の手入れをお願いしている「松尾造園」の奥さんから一番お味の好い時に、と送って頂きました。みかん農家の奥さんが収穫の時に、葉っぱを残してくれたりして、絵手紙の良い画題になります。早速、絵手紙にしてお礼状を出します、いつも有難うございます、ご馳走になります。

天草晩柑-2
学生時代の友人達の中には、若くして亡くなった方もいます。中学校では、卒業してから自殺した人がいて、後で聞いて吃驚しましたが、普段からちょっと大人びた感じのする人で国語の先生に失恋したから、との噂でした。お医者さんになって働き盛りに病気で亡くなった人、人の運命の苛酷さを思います。
瀬戸内寂聴さんの言葉に「人間には定命・じょうみょう」があって、生まれたときにその人の寿命は決まっているのです。
と、(生きることば あなたに)という本に書いています。決められた死ぬ日に向かって、なぜこの世に生かされているか、を考えるのが、私達の今日であり、明日であるのでしょう!と、あります。
80歳を過ぎた友人達と会って、生かされる有難さ、又、私を遺して居なくなってしまった人達がどんなに大切な存在であったか、その人達の気配をより近く自分の身のほとりに感じます。又、会いましょうね、と約束はしても実現出来ないかも、まさに良寛さんの「死ぬときは死ぬるがよろしく候」の心境です。

井田病院緩和ケア病棟・絵手紙-5

偶然でしょうか?今日出がけに高校時代の男子生徒から久しぶりに電話を貰いました。23日の月曜日に新宿の三井ビル54階のレストランで有志が集まって食事会をするので来ないか?とのお誘いでした。スケジュールを調べると、丁度予定がないので参加することにしました。同じ高校の女子の友人と湯河原に出掛ける日でしたので、あまりの偶然に吃驚しました。又、電車に乗らねば!でも、楽しみ、前回お会いした時も皆さん素敵に歳を重ねられてお元気でした。この三井ビルはメンバーのお一人が昔の三井銀行出身なので利用出来ます。月末にかけて忙しくなりますが一つ一つ楽しみたいと思っています。
21日、22日の予定で新潟にお墓参りに行くのに運転を頼んでいた甥が都合が悪くなりました。この機会をはずすと大分先になってしまいます、あれこれ迷いましたが、車は諦めて、新幹線で東京駅から湯沢まで行って十日町市の知り合いの方に湯沢の駅まで迎えに来てもらう事にしました。急な病人さんですので心配ですが、お大事にして下さい。
今日も朝から快晴、眩しい程の日射しです。寝室の窓を大きく開け放ってお日さまにご挨拶、「今日も笑顔で過ごせますように!」予定のない一日なのでゆっくりとします。部屋の中を見ればやりかけの材料や道具が片付けないままになっているのが気がかりですが、又、19日に集まりますのでそれまで諦めて見ない振り、庭の緑が濃くなってきて日影がくっきりしています。葉を揺する5月の風を、肌に目に心に感じながら今日を楽しみます。

風薫る
寺谷住宅の絵手紙を終わって夕刻帰宅したら、3日遅れの「母の日」のお花が届きました。毎年忘れずに青山のお花屋さんから届けられるのですが、センスも良くとても長持ちします。何時も有難うございます、大事に眺めます。
朝のうちは日も差して晴れるか、と思っていましたが雨粒が落ちてきたり、強い風も吹いて不安定な天候です。少し早めに終わらせて解散しました。

母の日の花
今日の歌舞伎座は昼食と夜ご飯ごが必要です。何時もは沢山あるお店で買ったり地下の食堂に行くのですが、幕間の時間が長くても30分ですので、皆さん座席にお弁当を買ってきて頂きます。今日は二食ですのでお昼用にお弁当を作りました、海苔弁が大好きです。昔を思い出しながら、ミスドのポイントで貰ったお弁当箱が良く出来ているので役に立ちました。

海苔弁だ~
沖縄の絵手紙のお仲間から、宅急便が届きました。台湾周遊の旅のお土産も添えて黒糖、島らっきょう、懐かしい品々です。島らっきょうがまだ採れるみたいで、和田さんに早速連絡しましたが、いつもの知り合いの畑の収穫は終わっているそうで残念!高校の同期の和田静子さんが、甑島から沖縄に移住してから12年、やんばるの自然を愛し親しみ、地元の子供たちやお年寄りに寄り添っています。たっぷりの髪の毛はすっかり銀色に光り、お化粧をしない肌は皺一つなく若々しく綺麗です。私にはとてもまねの出来ない和田さんの生き方を尊敬しています。
白鳥由美子さん、有難うございます。

懐かし、沖縄!
月が変わると正行寺さんから「浄土宗新聞」が送られてきます。今月から始まった「あの言葉に想う」の第一回に葉 祥明さんの記載記事が載りました。絵本作家、画家、詩人、1940年熊本市生まれの優しい絵と詩の作品を多く見ています。葉 祥明さんが通った熊本市の高校の玄関ホールに飾ってあった額縁には、「役に立つ善人たれ」とあり、熊本を離れて半世紀余りを東京で暮らすなかでも、ずっと心に響き続けている言葉だそうです。自分が子供向けの絵本を製作してきたのは、世界の平和を訴える仕事をするため、仕事を通して社会や世界の為になる、つまり「役に立つ」事なのだと思いこの言葉を座右の銘にして活動の幅を広めておられます。いつぞや訪れた「葉 祥明阿蘇高原絵本美術館」周辺も地震に襲われ被害が出て立ち入れない状態だそうです。あの広大な草原に立つ瀟洒な美術館を思い出しながら、又、訪れたいと思いました。

葉 祥明さん
5月になると必ず思い出す詩があります。佐藤春夫の「望郷五月歌」です。

「塵まみれなる街路樹に 哀れなる皐月来にけり 石だたみ都大路を歩みつつ 恋いしきや何ぞわが古里
 あさもよしむろの海山 夏みかんたわわに実り 橘の花咲く野辺に とよもして啼くほととぎす・・・・・・・」長い詩で最後に「贈らばや 都の子らに」で終わるのです。谷崎潤一郎婦人千代に対する同情心がやがて恋心に変わり、所謂(夫人譲渡問題」となって十年の歳月を経て、結婚したのです。その後東京の住まいでちよ夫人とその子供と住んでいる時に創った詩が「哀れ秋風よ!」の「さんまの詩」になったのです。東京での過酷な生活の中で故郷の紀州・新宮の海や山を心の糧に詩人、作家、評論家として膨大な作品を遺した偉大な文学者に敬意を感じます。
高校の時に習ったのでしょうか、なぜか忘れられない詩です。

正行寺会館・絵手紙-5


熊本震災から二週間が経ちました。地震の回数は1000回を超し、なお且つ今後も強い揺れに警戒するように呼びかけています。今も三万人もの人達が避難生活を余儀なくされています。ゴールデンウィークが始まりますがそれどころではないですね!早く、早く、安心して眠れる日が来ますように!昨日は午後から雨、明けて今朝はお天気になりましたが冷たい風がかなり強く吹いています。花みず木の色あせた花びらがひらひら、ひらひら、舞落ちるもの哀しい朝です。

花散る庭-2
朝、出掛けるのに車庫のシャッターを開けたら入口にある「なかよし」の石像にお散歩のお年寄りが手を合わせていました。「有難うございます!」とお礼を言いましたが「いつも拝ませて頂いています」とにっこりなさいました。石屋さんの話では「仏様ではなく道祖神の様なものです」とのことです。しば桜が咲いて昔模様の男の子と女の子が向き合って合掌するなかよしこよしです。朝の日射しをいっぱい浴びて、どうぞ、今日もいい日でありますように、私もお願いしました。

仲よし・こよし
思いがけなく、一本の電話から中学校のクラス会の開催の話になって日にちや場所を決めるのに連絡を取りました。最近では2~3年前にあった人、10年も会っていない人、電話に出ない人、又、場所も上野近辺ということで探しました。出席者が12名、個室で椅子席、5月29日(日)、なかなか此処という処がなく時間が掛かりました。皆さんにパンフレットを添えて案内状を作成、発送の準備が整いました。
同じように、高校のグループも温泉に行きましょう!ということになって、こちらは3人ですので直ぐに決まりました。以前行ったことのある湯河原温泉の「旅館・まきやま」早速予約を入れて16日から二泊、6人グループだったのですが、一人亡くなって横浜のTMさんは外出出来ず、一人は行方不明です。中学卒業から66年、高校卒業から63年、何十年と時間が経っても、会えばあやちゃん、みぞくん、まこちゃん、てるちゃん、と、昔に戻って話題は尽きません。今から凄く楽しみにしています。

決めました、クラス会
熊本の震災を気遣って下さって、川崎、横浜、東京の方達からお見舞いの電話やメールを頂きました。今朝は、中学校の仲好し4人グループのお一人から連絡があって長電話になりました。HMさんは今年の賀状で「8月に夫と二人で町田市の施設に入居しました。」と書いてあったので吃驚しました。とてもお高いのですが快適だそうで羨ましいです。皆さんに召集をかけて、5月後半、中学校があった上野近辺で、少人数でも会うことにしました。連絡するのは、大沢先生、荻原さん、柴田さん、ま子ちゃん、田辺さん、土屋さん、・・・連絡帳を調べます。電話の話で、千葉県の保田海岸の台東区の保養所に行って、4人でコーラスを歌ったこと、音楽の神戸先生に順番を間違えて叱られたこと、懐かしさいっぱいです。
あの頃、物も少なく食べ物も切りつめていましたが、不幸だと思ったことはなく古き良き時代であったと思い出す事沢山ありました。

ガザニア
バレンタインデーに頂いたアマリリスの球根がついに開花しました。2月14日に水遣りを始めて2カ月、窓辺で毎日向きを変えて真直ぐに伸びるように気をつけます、四輪の大きなお花が四方に向いています。お隣同士おしゃべりをしているみたいで、花言葉も「おしゃべり」です。その他にも、アマリリスはギリシャ神話に登場する羊飼いの少女が、アルテオに恋をし神様のお告げで、一本の矢で自分自身を傷つけ、流れ出た血から美しい花を咲かせアルテオに愛の告白をさせました。この花がアマリリスと呼ばれるようになったそうです。ですから花言葉も「素晴らしく美しい」「誇り」などもあるそうです。球根の根元の方には新しい株もありますので長く楽しめそうです。

アマリリス
天草の知り合いから、「天使にアイム ファイン」の映画の招待券を頂きました、天草の映画館で観にいけなかったので今日、横浜・港北ニュウタウンに観に行ってきました。横浜市営地下鉄で「センター南」で下車、あまり降りた事のない駅ですが凄くモダンで賑やかな所です。映画は(幸福の科学)の大川隆法氏の製作総指揮の映画です。天上界の神殿で祈りを捧げる一人の天使が、地上で様々な悩みを抱えて生きる5人の人達を救うために地上に降りて人々の人生を好転させるのに奮闘するお話です。私達も、誰かに見守られて助けられているのですね!終わってから、久しぶりにいろいろなお店を覗いて買い物をしたり、喫茶店に入ってのんびりしましたが、電車で出掛けるとどうしても歩く距離が長くなりますので、家に帰ってくるととても疲れます、足がめっきり弱くなったのを実感しました。

アイムファイン
最近。家で絵手紙を描く機会が少なくなりました。教室へ行った時に描いたりしていましたが、午後からの来客の予定で午前中にゆっくりと家で落ち着いて絵手紙を描く事が出来ました。最近は猫ちゃんブームだそうです。以前にバリ島に行ったとき、木彫りの可愛い猫ちゃんの置物を沢山買って来ましたので、モデルには困りません。久し振りで取りだして描きました。他にもいろいろ書けて楽しかった!

家で絵手紙-9
兄が天草の苓北町の慈恵病院に入院している頃、富岡の「天草洋・あまくさなだ」によく食事に行きました。天草のお刺身は白身の魚が多く新鮮で本当に美味しいです。兄も気に入っていて、一週間に二回くらい魚屋さんから病室に届けてもらって食べていました。私は「天草洋」の鯛のかぶと煮が大好きです。濃いめの味付けでとても美味しいです。先日伺ったときに宅急便で送ってもらえる、というので早速お願いしたところ、真空パックにして、煮汁もたっぷり、発泡スチロールで送ってくれました。友人に召集をかけて戴きます、お手数をお掛けしました、有難うございます。

鯛のかぶと煮

お姉さん!
NHKの朝ドラ視てる?始まったばかりの「とと姉ちゃん」視てる?4月4日から始まったばかりだけど、今日のシーンはとても印象的でした。とと(父)と、かか(母)と幼い3人姉妹、ととが結核で亡くなります。ととは長女の常子を呼び「ととの代わりとなって、かかや妹たちを頼む」と懇願し(感染を恐れて障子越しの会話です)二日後に息を引き取りました。戦後ブームとなった、「暮らしの手帖」の編集者が実際のモデルです。私もこの本はよく読み、懐かしいです。昭和13年、10歳のお姉さんは父の最晩年の何かの記憶はありますか?又、母に遺した言葉はあったのでしょうか?ドラマのととも「とても無念だ!」と言いました。
同じような境遇であった私も、この歳になって父や母の胸中を慮ってベッドの中で泣きました。父や母との再会が近くなってきたからでしょうか、とても懐かしく有難い思いです。自分でも信じられないような長い生命を生かされ、両親はじめ全てに感謝して、残された時間を過ごしたいと思います。お姉さんにも何時も感謝をしています。お姉さんは、私のとと姉ちゃん、です。これからも宜しくお願いします。

姉への手紙
近くに住む親戚の従姉妹の娘さんが、北茨城からの海産物などを届けてくれます。福島県との県境にある港町ですが、戦争中姉と私は、伯母の家に縁故疎開をして世話になりました。今では貴重な魚になってしまいましたが、やなぎかれいと云う10センチ~15センチ位の小さな鰈があります。今日はこれを頂きました。焼いて頭を取って、お箸で両方の身に筋を入れて指で二つにし中骨を綺麗に取り、真っ白いご飯の上に乗せてお弁当にしてくれました。このお弁当が大好きで伯母にせがんだのを思い出します。夕食の肴に早速頂きながら古い昔を思って懐かしみました。伯母は母のお姉さんになりますが、働き者のいい伯母でした。伯父も東京に出てくると、浅草に連れて行ってくれて映画を見て「せきね」と云うレストランでカレーライスをご馳走してくれて、凄く楽しみでした。あの頃、沢山、有難うございました。

やなぎ鰈
NHKの朝ドラ「あさが来た」が明日最終回を迎えます。出来るだけ視るようにしていましたが、実在の人だそうで名前も聞いたことがありませんでした。今日は、夫・新次郎さんが亡くなってしまいましたが、あさは白い喪服姿でした。今から79年前の3月25日、父が33歳の若さで結核で亡くなりました。母が白い喪服姿、上の姉二人は七五三で着るような模様の着物、兄は詰襟の洋服、私と亡くなった姉はお揃いのワンピース姿、伯父が付き添ってくれている大きな写真がありました。あの写真は今、どこにあるのでしょうか?3歳の私は姉と並んですました顔をしていました。再婚もせずに83歳で亡くなった頑張った母の写真に手を合わせて改めて「ありがとう!」と声に出して写真を抱きしめました。やがては、あさも新次郎さんと一緒にお浄土で再会するのでしょうね、いいドラマでした。
4月の予定を書き込んでいて、中旬、下旬と予定が入っていないのに吃驚!月初めに予定をたてても途中で約束が出来て忙しくなっていくのですが、今月は暇が出来そう?何をしようかしら、何処かへ行こうかしら、考えるだけでも楽しみです。何よりも、この春爛漫の一時を毎日心豊かに暮らせたら最高です。昨夜は早めに寝たので、今日水銀灯に浮かび上がる公園の夜桜を一人で眺めに家を出ます。

高田郁さんをご存知ですか?2008年、小説家としてデビュー。2012年には北川景子さん主演でテレビドラマにもなった「みおつくし料理帳」の著者です。このシリーズの本は10冊以上になりますが、全部読みました。この度、新シリーズが出版されて読んでいます。いずれも江戸時代の市井の人々を描いた作品です。

「蓮花の契り」は、父親が非業の最後を遂げたのちお寺に拾われた幼い娘が周囲の人々の温情を頂いて真摯に生きる姿を、優しい文体で流れるように書き下ろした作品です。娘は亡骸を洗い清める仕事を通して、死者と遺された人達の心に寄り添いながら成長していくのです。心に沁みるいい作品です。


高田郁(たかだかおる)

23日、水曜日、日テレ系4チャンネルで午後9から「ぼくのいのち」というドラマがありました。その時間に視る事が出来なかったので録画をし夜中にゆっくりみました。。

生存率0%を宣告されながらも諦めず、病と闘った男の子とその家族の実際にあった家族のお話しです。男の子3人を抱えて慌ただしくも幸せな毎日を過ごしていた家族に、ある日突然4才の次男祐平君に小児がんの一種「肝芽腫」と告げられます。母親の生体肝移植を受け一刻小康を得たものの半年後に再発、医師から2年生存率0%と告げられます

木村佳乃と北村一輝二人が演じる夫婦は悩みに悩んで出した決意は、息子の生きる力を信じて医師も初めてという危険な治療を受けることにしたのです。この間1年半、この夫婦はどんなに切なく胸の痛む日々を過ごしたであろうか、と思うにつけ涙が止まりませんでした。祐平君を演じた子役の横山歩君が上手で、無邪気な笑顔が涙を誘います。そして、家族の願いは奇跡を起こして祐平君は見事に難病を克服して今、高校生になって活動している本人の映像も出ました。「生きていることは、すてきなこと」という真直ぐなメッセージも素直に共感できて、いいドラマでした。

天草での予定の半分が終わりました。私が初めて苓北町の慈恵病院に入院した兄をお見舞いに来て、病院の永野理事長先生や、ふれあいスペース如水館の岩崎國春館長先生にお世話になり、お陰様で今に至るまで天草にご縁を頂いています。先日岩崎先生と天草でお会いすることができて感無量でした。先生も奥様もお元気で、昔と変わる事なく私を励まして下さった当時を思い出して懐かしさ一杯でした。長い時間のうちには辛い事、哀しい事も沢山ありますが、嬉しいこともあります。生きて居て良かった、と思った一日でした。

私もうっかりしていました。今日ホームページを閲覧して下さる友人から、間違いを教えて貰いました。云われるまで全く気がつかなかったので吃驚しました。3月3日、歌舞伎座の3月興業を観て、歌舞伎座の正面玄関に、新雀右衛門の襲名をお祝いして、東京でただ一軒の奥多摩にある酒蔵「沢の鶴」から酒樽が寄贈された、と掲載しましたが「沢の井」の間違いでした。訂正して関係の皆様にお詫びを申し上げます。「沢の井」の名入りの四斗樽を積み上げた写真まで写したのに・・・・・(^。^)?本当に済みませんでした、今後は気をつける事に致します。

歌舞伎座・3月興業-3
昔はなかったイヤホンガイドがあります、観劇の内容や解説をイヤホンで観ながらにして聴けますので、とても分かりやすく重宝です。1700円を払って借り、終了後出口で返すと1000円が戻って来ます。カードを買うと割安です。今日の幕間には、雀右衛門の襲名の簡単な挨拶がありました。歌舞伎座正面玄関前に山と飾られた「沢の鶴」の四斗樽、東京でただ一軒奥多摩で酒蔵を営む「沢の鶴」からの寄贈です。売店でも特注のラベルが貼られたお酒が売られているので、是非、ご賞味を、と宣伝つきのご挨拶でした。手拭やTシャツも売られているそうです。3時半、終了後急いで帰宅しましたので売店にも立ち寄らずに残念でした。

歌舞伎座・3月興業-3
2月の後半、特別な予定もなく本を読んだり撮りだめのテレビ録画を視たり、のんびり過ごしました。古い帯のリホームバッグが好評で、帯を持ってきて一緒に作ったりしましたがこの、好きなことが好きな時に出来る喜びは幸せです。佳き友、隣人に恵まれ老いたとは云え、毎日を平穏に暮らせる、有難い事です。庭の梅の花がチラホラと春のそよ風に散っています。今月も、日々大切に感謝を忘れず過ごしたいと思います。

天草の家-11
駅前のカメラ屋さんに主人の写真を持って行きました。セピア色になった写真を新しくしてもらいました。朝晩挨拶をする写真ですので、綺麗になって戻ってきて嬉しくなりました。写真屋のご主人は昔からの知り合いで、以前空になったフィルムのケースを頂いたことがあったのを覚えていてくれて、取っておいてくれました。頂いて帰り早速お地蔵さまの絵を貼って、絵手紙用のゴム印入れを作りました。皆さんに差し上げて使って頂こうと思います。よかった!

フィルムケース-2
薔薇と一緒にアマリリスのポットもありました。南アメリカ原産でピンクや白、緑など色鮮やかに大輪の花を咲かせます。これから5月から7月にかけて最盛期を迎え、家で手入れをして芽が出て葉が出て楽しみながら花を咲かせることが出来ます。花言葉は「誇り」「おしゃべり」「輝くばかりの美しさ」等ですが、花が横向きに付くため、隣りの花とおしゃべりをしているように見えるので花言葉にもなったそうです。水をやり始めてから6~8週間で花を咲かせてくれるそうで、窓辺の楽しみです。

アマリリスを育てる
主人が亡くなって一周忌をむかえるにあたって、今迄庭の一隅に東屋があった場所にお仏間を作りました。6坪ほどの小さなものですが、ここに加藤家と姉の石井家のお仏壇を安置しました。棟上げの時は瓦の裏に文字を認め、襖には仏画や「般若心経」を描いて思いを込めました。今となっては、それだけのエネルギーもなくなり、若かったから出来たのだと作って良かった!と思っています。庭を隔てて戸を開けるといつも座っている居間からお仏壇が見えます。今も元気でいてくれたら82歳になります、そして時々私もあそこで一緒に眠れるのだなぁ~、等考えたりします。もう一度会いたいです!

20回忌-1
浄土宗のお寺さん正行寺さんから毎月「浄土宗新聞」が送られて来ます。お正月の言葉は「未来は今の積み重ね」とありました。諸々の事象が常に変化する(諸行無常)の世に今日も生きている事は、当たり前のようですが、とても貴重であり有難い事なのです。”今”をどのように生きるかによって“未来”は良くも悪くもなります。”今”しか出来ない事を大切にし、“未来”へと生かして、幸せを感じていただきたいと思います。・・・と、ありました。年を重ねてくると、このなんでもない事、が一番大切で有難いこと、が良く分かります。朝、当然のように目が覚めますが、朝を迎えられた事は有難いことなのですね!「阿弥陀仏と 十声唱えてまどろまん ながき眠りに なりもこそすれ」というご詠歌があります。このお歌が大好きで枕元に描いて、いつも見えるようにしています。

天草の家-31
日立市のNMさん、下小田中のNKさん、富岡のSSさん八幡町のATさん、横浜のWさん、Nさん、Kさん、いつもHPを開いて下さって有難うございます。今年も川崎での日々、そして天草での出来事をご報告させて頂きます。未熟な手法で変わり映えのしない内容ですが今年も宜しくお願いいたします。

申年・タイトル-1
昨日のポップ・コーンでの忘年会で、いつもHPを視ていて下さる中村求仁子さんから、私のHPが非公開になっていて閲覧出来ない!といわれてびっくりしました。早速天草のPCのYE先生にお尋ねしたところ、「公開設定」が間違っているのでは?、と云われて直ぐに訂正しました。お蔭で正常に戻りましたが自分でも、何時、何故、このようになったのか分かりません。PCの世界は、奥深くいつも驚ろかされます。何時頃からかも定かではありませんが、ご迷惑をお掛けしました。
クリスマスに「等々力の家」に大正琴の演奏に出掛けました。大分前から云われていたのですが、練習を怠けていたので自信がなくて不安でした。「ジングルベル」「津軽のふるさと」「冬の星座」「冬の唄メドレー」「津軽海峡冬景色」「雪椿」「北の宿から」「かあさんの歌」「さざんかの宿」「トロイカ」「きよしこの夜」最後に「お正月」をみなさんと一緒に歌って終わりました。間の小休止にはおしゃべりをして、皆さんの昔話を伺ったりして和やかな雰囲気で楽しみました。演奏が終わってお別れする時に、1年のお礼に、と虫眼鏡をプレゼントして頂きました、有難うございます、又来年お邪魔させて頂きます、皆様、どうぞ佳いお年をお迎え下さい!。

等々力の家、訪問
PCが不具合になって、天草に置いてあるPCを送っていただきました。
やっと、ブログの更新が再開出来て良かったです。何事も皆さんのお世話になって助けられて有難い事と感謝です。天草では、素晴らしいPCの先生に巡り合えて、追いついて行けない程沢山の事を教えて貰います。時には無理なお願いをしたりしてご迷惑をお掛けしてしまいますが、これからも宜しくお願い致します。今回も有難うございました。
自分は十分に気をつけている心算でも、沢山のミスがあります。まず、探し物が絶えない事、特に天草と川崎を往復していると置き忘れで困ってしまいます。一寸取りに行く事も出来ず諦めるしかありません。今回もカメラのバッテリのが見つかりません。何処かで頭の働きが鈍っているのでしょう!何事も慌てず落ち着いて行動するように、これは来年の第一目標にする!!と、今決めました。

我が家の初冬-3
12月前半は忙しい日が続きますが、後半少しゆっくりできそうです。ホームページに書き込みをしたい事があって、暇を見つけてはPCに向き合うのですが、PCのご機嫌が悪くて写真の取り込みに支障をきたしています。天草の先生にG-mailで手順を教えてもらいますがまだ回復出来ません。せめて記事だけでもと、頑張っています。今日は、はやくから植木屋さんが入りました。ご夫婦で夕方までかかって綺麗にしてくれます。私は午後から横浜に出かける用意をします。今日お邪魔する「すみれが丘・夢別邸」のお年寄りは、皆さん、お静かであまりご自分では描きませんので、サンタさんや雪だるま等、クリスマスに因んだ絵を準備して文字だけでも書き入れて頂こうと思っています。楽しんでいただけたら嬉しいです。

井田病院緩和ケア病棟-6
気に入っている銀杏並木も枝が寂しくなり落ち葉で道が真っ黄色に染まっています。12月に入っていよいよ冬の訪れです。表参道の冬のイルミネーションが点灯されたそうで、賑わっています。部屋の暖房機器、寝室の床暖やお布団を温めるマットが出番になりました。家の前の公園の紅葉が今年はとても赤く見えます。そばに水銀灯がありますので、夜になると真っ赤に輝いて窓に反射します。夜中に目を覚ました時、あまりの綺麗さに見惚れてしまいます。この美しさもあと数日のこと、強い風が吹けばお掃除が大変です。忙しく過ぎゆく日々のなかでも、落ち着いて自分を見つめる余裕があるような気がするのは年齢を重ねてきた賜物でしょうか。毎日を有難く過ごしています。
川崎の夜明けは天草よりだいぶ早く訪れます。お天気が良いと寝室の窓を開けると西の彼方に富士山を望む事が出来ます。昇る太陽に思わず手を会わせます。
今日からの一週間、川崎での絵手紙教室でお猿さんの折り紙を楽しみます。お正月を飾る小物としてはし袋や置物にします。些細な事ですが穏やか気持ちになります。早起きして準備に取りかかります!
阿蘇くまもと空港、10時40分発JAL626便に乗るため、早朝アレグリアホテルをチェックアウトする姪たちの車に便乗させてもらって、暗いうちに家をでました。満天の星たちに見送られ走っていくうちに、東の空が薔薇色に輝き始め星が姿を消していきます。有明海、不知火の海を朝霧が立って幻想的な景色です。普段見慣れない素晴らしい自然現象に驚きました。空港でレンタカーをお返しし、時間も十分で買い物もできました。穏やかなフライトで途中雲の上に真っ白な富士山をまじかに見下ろしながら、羽田空港に着きました。無事に家に着きましたが、三週間前に出かけた時とは様子が変わり、庭も前の公園も冬支度です。
お陰様で今回も天草の皆様と共に、楽しく過ごすことができて感謝で一杯です。三か所の絵手紙教室、お食事会、ポルトでの「第五回天草三曲会演奏会」どれも忘れられない思いです。皆様のお世話になりながら、今年も無事に天草に通うことが出来、ありがたく感謝いたします。有難うございました。

天草絵手紙教室終わりました-2
12月は川崎で過ごします。絵手紙の皆さんとの忘年会や、クリスマスやお正月の小物作りに集まっての作業が待っています。今回、天草でも痛感しましたが「三曲会」の尺八の先生方の奥さんが準備や当日のお客様のご接待に協力して下さり、女性同士の親睦会も出来て楽しみが増えました。本当に皆さん良い人たちで話に花が咲き笑い声が絶えません。
それぞれ家庭の事情や、お忙しい中お集まり下さるのですから嬉しいです。これからも、宜しくお願い致します。

天草の家-1
天草市内の病院で「後期高齢者の検診」を受けました。普段全く病院のお世話にならずに過ごしていますので、一昨年に次いで二度目の検診です。予め日時を予約して、前日夜の9時以降の飲食を避けて、胸部XP,腹部の超音波、乳がんの検査、血液採取等8時に始まって10時には終わりました。朝早くから多くの看護師さんや職員の方が待機していてスムーズに進められます。天草の病院で何時も感じるのは、お医者さん始め看護師さんや事務関係の人達、皆さんがとても親切で優しく、緊張している気持ちを和らげてくれます。設備も良く、病気になったらこの病院のお世話になりたい!と思ってしまいます。結果は後日、ということで無事に終わりました。前日、瀬戸内寂聴さんの「密着500日」というドキュメントのテレビがあり、93歳の寂聴さんのユーモア溢れる闘病ドキュメントわ視ました。病に負けず兎に角前向きで痛みも苦しみも笑って吹き飛ばしてしまうのです。93歳まで生かされて、もう何時死んでもおかしくない、と思っていた自分が、病気になったら死にたくなくなって、次は「いのち」という長編小説を執筆する構想をたてたそうです。法衣姿とは打って変わって、カラフルなパジャマを着てお肉が大好物、毎晩ワインを飲んで健啖家ぶりを見せてくれました。本当に凄いですね!

天草地区文化祭-17
10日に天草に着いてからアッという間に日にちが経っていきます。晴れた日は、有明海の向こうに普賢岳を仰ぎ、氷雨の降る日は濡れそぼる庭の草木を眺めて癒されます。友人達とお茶をしながらおしゃべりを楽しみ癒されます。
福岡で開催されている九州場所「日本相撲協会」の北の海理事長さんが急逝され、ご病気も知らなかったので吃驚しました。前日までお元気で場所を観戦していられましたのに、命の儚さを感じます。その日の夜、NHK・Eテレで「チョイス選・自宅で最期を迎えたいときに医療内容は?費用は?どうする?家族の決断」と題する番組がありました。本人の希望を第一に、介護を担う家族、お医者さん、看護師さん、ケアマネージャー、ヘルパーさん、時には歯医者さん、薬剤師さん、理学療養士さん達さまざまな分野のスタッフに見守られて自宅での生活を選択した人達の例が引用されました。自分の終末は予測も出来ませんが、瀬戸内寂聴さんの一言を思い出しました。「過去にとらわれず、未来を怖れず、今日を悔いなく生きる」です。今、元気でいられる事に感謝して悔いなく毎日を過ごしたいと思います。

天草の庭-1


先日、叔母の三十三回忌の時、写真を焼き増ししてもらいましたが、その時、写真屋さんに古い色褪せた写真を修整して元のカラーに戻せる事を聞きましたので、主人の写真を頼みました。残った写真は多くは無いのですが、寝室に飾って一日の挨拶をする写真は、亡くなる数カ月前に撮った写真ですのでもう二十年近く経ちます。一か月近く懸り戻ってきました。久し振りに会ったような新鮮な思いで「お帰りなさい!」と云いました。結構いいお値段ですが良かったです。

 

正昭

 

今日は暇を見つけて、川崎駅西口の「ラゾーナ川崎」に出掛けました。「幸福の科学」を主宰する大川隆法氏・原案、製作総指揮の「UFO学園の秘密」を観る目的です。長編アニメーション映画で(この地球”ほし”は、宇宙に必要か)と副題にありました。見慣れないアニメーションに戸惑いましたが楽しく終わりました。以前からお世話になっている「日貿出版社」の編集部長さんが招待券を送って下さいましたので、31日の終演までに是非と思っていました。
ラゾーナは比較的新しい商業施設で、大きく明るく充実したショッピングセンターとして賑わっています。レストラン街で旬の牡蠣ランチを頂き、映画を観てお茶を飲んで、ゆっくり散策して帰途に着きました。たまには映画館の雰囲気もいいものでした。
今日伺った川崎バプテスト教会は、二度目の体験になります。まづ感じたことは、皆さんがとても穏やかでにこにこと
、好いお顔でご挨拶をなさる事です。私は今から二十数年前に、天草の病院に入院した兄を見舞って、初めて苓北町の慈恵病院を訪ねたとき、院内の廊下ですれ違う看護師さんや職員の方たちが、必ず挨拶をしてくれるのに驚き感激しました。都会ではそのようなことはありません。マンションなどでは、隣に住む人が誰だか知らない人達もいます。家の中の家族間でも、外出しても簡単な挨拶が人の気持ちを和ませてくれるのを実感します。自分の気持ちが平穏であれば、ご挨拶も自然に出てくると思います。私は、今日も穏やかな気持ちで一日を過ごそうと思います。

明後日・19日(月)、加藤家の叔母の法事が営まれます。義母の妹の和子叔母さんです、亡くなられて三十三回忌、南千住の浄土宗・西行寺まで出掛けます。叔母はお茶の先生で30年前、姉妹四人揃って出掛けた湯河原温泉の宿で心臓発作で亡くなりました。埼玉県浦和の家から遠路川崎まで私や従業員にお茶を教えに通ってくれました。今でもお茶室での叔母の姿を忘れることはありません。法事を控えて義母の箪笥を開け、端切れを取り出しました。叔母への思い、優しかった義母への懐かしみ、お寺へ持参する写真を取り出し庭の「ホトトギス」のお花を供え、お香を焚きました。義母が遺した端切れで、明日までに皆さんに使って頂く巾着を縫って懐かしんでいただこうと思います。。同じ浄土宗のお寺さんですので、「追善供養のご詠歌」お唱えさせていただけるよう、ご住職にお願いしてもらいました。
「追善供養ご詠歌」  
①  弥陀のみひかり 念じつつ 面影ともに懐かしみ 回向捧ぐる 御供養 み魂よここに受けたまえ
②  今日の集いの 真心を 所縁のわれら念仏の 回向捧ぐる 御功徳 受けて連(はちす)におわしませ
③  浄き(きよき)導き 願わくは この世の務め 日々の業 我ら感謝と報恩の 明るき世にぞ なし給え
                                    南無阿弥陀仏 阿弥陀仏
                                                    合掌
十日・十一日・十二日と体育の日を入れて三連休となりました。この三日間、外出の予定もなく家で出来る事を少しずつ片付けます。まず、日貿出版社の高戸編集部長さんから送られてきた年賀状の本を各教室に郵送、頼まれている消しゴムの落款印を10個作って郵送、来年のカレンダーの原稿の準備、申年の年賀状の下調べと下書き、11月川崎市立井田病院のプレゼントの作成、等時間が懸りますが少しづつやります。11月の天草での予定も沢山ありますが、思いついた事をメモにしておきます。朝から冷たい雨が降っていますが家の中を暖かくして仕事も捗ります。好きな事が出来て有難いと思います。

花々-9
ソニーの創業者の井深 大さんが亡くなられてどの位の月日が経ったのでしょうか、この度栃木県鹿沼市に新しく記念館が出来てオープンの運びとなりました。鹿沼には井深大さんが生前より力を入れて育て上げた「希望の家」があり、今迄の施設を移転して、「希望の家」を訪れる全ての方々が心身を高める交流の場となることを願って、後継者であるご長男、井深 亮さんが心血を注がれたのであろうと思われます。10月31日(土)午後の部のセレモニーにご案内を頂きましたので、是非出席させていただくお返事を出しました。井深 亮さんの奥様・絲子さんは、私の高校時代の親友・藤田勝子さんの妹さんで高校の後輩でもあり勝子さんが亡くなられた後も親しくお付き合いをさせて頂いています。浅草から東武東上線で約1時間半、送迎車も用意して下さっていますので楽しみにしています。日光方面ですので車窓からの風景もきっと素晴らしいと期待しています。
日貿出版社の高戸編集長さんから「絵手紙・さる年の年賀状」が送られてきました。先日、東京の問屋街でも、ハローウィン、クリスマスやお正月用品が出揃っていましたが早いですね!私も12年前のさる年の絵手紙の本を探してみようと思っていたので、有難かったです。皆さんにも紹介して注文することにします。昔の格言に「みざる・いわざる・きかざる」とありますが、今の時代「良く見て・良く聞いて・大いに発言して」だそうです。一理あるとは思いますが、何事もほどほどですよね。

「絵手紙さる年の年賀状」


猛暑から解放されて楽になりましたが、暑い日もありました。(暑さ寒さも彼岸まで)、お彼岸も過ぎて天草の草むらで懐かしい虫の鳴く声を聞いたり、十五夜お月さまに思いを寄せたり、心豊かな日々でした。最近、天草の人達とお別れするときには「今生のお別れに、乾杯!」と冗談に言い合い、次にお会いした時には「再会を祝して、乾杯!」と言い合って笑いますが、明日をも知れぬ身にとってはまさにその通りです。9月とはお別れですが明日から又、新しい日々の訪れがあります。その日その日を大切に楽しく10月を迎えます。

我が家の初冬-6
お彼岸を天草で過ごし、今回も充実した日々を過ごしました。明日はお仲間とバスを乗り継いで山鹿まで行き、八千代座の市川海老蔵を観て一泊し、翌30日川崎に帰宅します。八千代座は以前に観光で内部を見学しただけですので、枡席に座って観るのは初めてでとても楽しみです。八千代座は、坂東玉三郎や海老蔵がとてもお気に入りで必ず興業を入れるところです。TVの中継はよく視ますが何と言っても本物は違います、良いお席のチケットもとっていただき有難うございます。
天草に来て10日経ちました。約半分の日程が終わった訳ですが、毎日がアッという間に過ぎていきます。でも、疲れることもなく楽しい毎日ですので有難い、と思います。私が参加させて頂いている「天草三曲会」の二年に一度の演奏会が11月29日(日)ポルトであり、練習が始まりました。尺八、お箏、三弦と素晴らしい先生方のお仲間に入れて戴いて失敗のないよう、ご迷惑をお掛けしないよう緊張します。本番に向けて練習に頑張ります。
先日の台風は天草の真上を通過し長崎に北上して熱帯性低気圧に勢力を弱めたようですが、思ったよりも北風が強く、庭木が被害を受けました。松尾造園さんが当時の様子を写真に撮ってくれて見せて貰い、吃驚しました。天草に着いた時には、すっかり綺麗にしてくれましたので、あまり実感は有りませんけど木が折れている様子等見て大変だったのだ、と自然の脅威を目の当たりにしました。今月も天草の皆さんのお世話になりながら楽しく過ごしたいと思います、宜しくお願い致します。

横浜能楽堂で「伝統芸能の今2015」と題して市川猿之助を中心に各ジャンルの演奏家によるチャリティー企画がありました。「組曲百花」「葵上あおいのうえ」「鉄輪かなわ」です。猿之助のトーク、立方、朗読、藤原道山の尺八、上妻宏光の津軽三味線、坂口貴信の謡、川瀬露秋の三味線、長塚梨秋の箏、亀井広忠の大鼓、田中伝次郎の太鼓、ギターは村治奏一のメンバーで、めったにお目にかかれないコラボレーションで楽しみました。この企画は「ゴールドリボン+世界の子供にワクチンを」との運動の一環で、猿之助さん始め皆さんが募金に客席に降りられて熱心に話しかけていました。近くで見る猿之助さんは綺麗なお顔で気さくに話しかけられ好印象でした。終わって皆で横浜まで出て、横浜ジョイナスで夕食をとり、賑わう横浜を堪能しました。良かったです。


8月末の写真-3

テレビで天気予報を視ていたキミさんが、「明け方寒いくらいになるそうです」と言って毛布を一枚用意してくれました。「キミさんも風邪を引かないようにね!」とベッドに入りました。台風15号が天草方面に向かっていますので心配でした
が、(ありがとう)と、満ち足りた気持ちで眠りにつきました。幸せはお金や物ではなく身近な処に沢山あって、それを感じ取れるかどうか、ですね!朝早く、天草の野上建設の社長さんから電話があって、台風は天草を通過したとの事、家を見回りに来て下さって、「玄関前の植木が少し傾いたので、相談します、家自体は大丈夫です」と報告があって安心しました。どれもこれも「有難うございます、お蔭さま」です。今日はクーラーのお世話も要らないくらいです。午後からお寺さんのご詠歌の練習があります、ずっとご無沙汰でしたので白石先生に早くお会いしたいです。行ってきます。

天草の家-24

夏の甲子園、高校野球、話題も豊富で楽しみにしていました。神奈川の東海大・相模が優勝して真紅の優勝旗が箱根を越えて来ました。どのチームも素晴らしいです。

新宿から小田原迄小田急線が走っています、小田原の少し手前に「東海大学前」という駅があって立派な東海大学があります。その昔、ここはまだ「大根おおね」という駅で東海大学迄畑の中の畦道のような砂利道を通って学生が行き来していました。駅の近くの小高い丘の上に叔父が経営する「安藤病院」という精神科の病院が有り、私も時折薬局にアルバイトに行っていました。ある日、安藤病院の前の坂道を学生がバイクに乗って通り、折から診察を終わって自宅に徒歩で戻る安藤先生とぶつかり、先生は亡くなりました。叔母は将来のある若い学生の身を案じて不問に付した、と後で聞きました。そんな事を思い出しながら、その学生は今、何処で、何をしているのだろう、等安藤先生を懐かしく思いだしました。病院は今はお孫さんが跡をとって「秦野厚生病院」として総合病院になって立派になりました。

白石幸子さんは熊本県八代市に住んでいます。まだ、お会いしたことはないのですが絵手紙を通して交流しています。

お友達とよく旅行をなさるようですが、今回は長野県の山々を歩かれて、帰途東京銀座の鳩居堂に立ち寄られ、絵手紙グッズを送ってくれました。何かを描いてお送りしようと思って筆をとってみたら、予想外のもので私の終活準備のようでした。ごめんなさい!私が頂いて、この際「終活BOX]のような箱を作ってみようかな?等と考えました。

幸子さん、いつも有難うございます、お元気で暑さを乗り切って下さい。


白石幸子さん-4





大きな立派な梨が着きました。埼玉県産です。熊本県人吉市の大きな桃、天草の陽紅園の葡萄、も一緒に着きました。仏様にお供えして、少し秋を感じて貰いました。小林身知子さんが足の手術からリハビリまで、大分回復して少し歩けるようになったので、皆で私の家で快気祝いをすることになって、デザートに喜ばれそうです。よかった!!



梨

桃



新潟県十日町市の中島勝志さんから自分の畑から採れた野菜が送られて来ました。器用な人でお勤めをしながら、コシヒカリの田んぼや、畑で見事な野菜を作って送ってくれます。山菜の時期には、早朝山に入って籠一杯の山菜を採って送ってくれます。今日はキャベツは入っていませんでしたが、勝志さんのキャベツは凄く大きくて、柔らかくてシャキシャキと絶品です。トマト、ナス、オクラ、キュウリ、、、色とりどり嬉しい贈り物です。食べきれないので皆さんにもお裾分けをして喜ばれました、何時も有難うございます。


勝志さんの野菜

広島市の平和記念公園で「平和記念式典」が行われ、原爆投下時刻の午前8時15分、「平和の鐘」が何回も打ち鳴らされ、全員で一分間の黙禱が捧げられました。70年の長き歳月を経ても、日本人にとってこの痛みは癒される術もなく、なお多くの被災者がその後遺症に苦しみ悲惨な日々を過ごしている現実を忘れてはならないと思います。戦争の絶えない今日、この痛みを二度と繰り返さない日本であらねばならないと強く思います。

又、高校野球が始まって100年、第97回全国高校野球選手権大会が阪神甲子園球場で開幕、ソフトバンクホークス会長王貞治さんの始球式で始まりました。元プロ野球選手としては史上初めての始球式だそうです。見事、外角のストライクゾーンに決まって、観客から大きな歓声と拍手が沸き起こったそうです。本塁を挟んで「お願いします」「ありがとうございました」と両チームが礼をして始まり、終わる試合、注目される選手もいて楽しみです。

井田病院の絵手紙メンバーに中村求仁子さんがいます。ご主人と呉服屋さんをしていられましたが、今はお二人で仲良く悠々自適の毎日を送っています。井田病院への往復もご主人が送り迎えをして下さって、他のメンバーも同乗させて頂き素敵な優しいご主人さまです。求仁子さんも、商売柄さすがに和服姿はとても素敵ですが、お洋服の趣味も良くスタイルが良いせいもありますが、いつも素敵です。ご主人と尾瀬沼へ行って来られた写真や、フラダンスのお仲間と沖縄へ行った写真などを見せてい頂いてお話を伺いました。パッチワークもお上手、素敵なご夫婦です。


中村さん

10時、天草空港発阿蘇くまもと空港行き202便、有明海を眼下にしてアッという間のフライトです。熊本空港ではJAL628便12時20分発までゆっくり時間がありますので、軽食をとったりお土産を買ったりします。産交の森田さんがJクラスを取ってくれましたので座席もゆったりしています。羽田空港まで約2時間、荷物を受け取って外に出ると猛烈な熱気に煽られました。やっぱり、東京も暑いんだ!!。リムジンバスのキップを買って待つ間もなくバスが到着、ここから50分で「たまプラーザ」の駅に着きます、が大きな荷物を持っているのでタクシーに乗るか、姪に迎えに来て貰います。

家に着くと直ぐに窓を開け放って換気をし、クーラーを付けずにはいられません。室内の植物の手入れや郵便物のチェック等急ぎの用事を済ませてホッとします。後は天草から発送した宅急便を待つばかり、明日月曜日から上旬は予定がありますが、あとは家で溜まっている木箱に絵を描いたり、本を読んだり、高校野球もあります、何処にも出掛けずのんびりしようと思っています。忙しく、楽しい天草の3週間でした。お世話になり有難うございました、皆さんもお元気でお過ごし下さい!

毎回、月が変わる前に川崎に帰宅していましたが今回は月末の練習に出席したかったので、月を挟んでの帰宅になりました。梅雨が明けて暑い暑い日々でした。お世話になった皆さんと最後のお食事をしてお別れしました。まんまるお月さまが夜空に輝いて綺麗です。いつもの絵手紙教室三か所、亀場の高齢者学級、本泉地区の小学生の絵手紙体験、産交のバスツアー、食事会等、沢山の出会いもあって楽しい日々でした。この感謝の気持ちを明日からのエネルギーとして、川崎での日々に戻ります。有難うございました。


天草の日々

旧のお盆が近づいて来ました。苓北町志岐の絵手紙のメンバーのお一人がご親戚に初盆を迎える方がいらっしゃるので、ミニ行燈を持ってこられました。いろいろ考えて写真のような絵付けをしました。お坊さんが「開経偈」というお経をお唱えしているところです。「開経偈」とは、仏様を供養するのにお経を唱えるときに一番初めにお唱えします。お聞きしたところ、「曹洞宗」との事ですがやはりこれをお唱えするようです。  「無常甚深 微妙法  百千万劫 難遭遇  我今見聞 得受持 願解如来 真実義」です。訓読文は「むじょうじんじん みみょうほう ひゃくせんまんごう なんそうぐう がこんけんもん とくじゅじ がんげにょらい しんじつぎ」。現代語に訳しますと「仏陀が悟られ、説かれた最高にして深遠な真理には、どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。しかし私は今仏教に出会ってその教えに触れることが出来た。願わくは仏陀の説かれた真理を体得せん。」お聞きになったことがあると思います。出来栄えは(いまいち)でも、こころを込めて描きました。



開経偈

天草に着いて翌日、取り敢えず買い物や支払い等で出かけました。買い物先でここ数年交流のなかった人から声を掛けられ吃驚しました。お互いにお元気で!と握手を何回もして、私も嬉しく涙が零れそうになりました。ご主人の体調があまり良くない、との事是非又訪ねてきてくれるよう話し合いました。又、夜になって久しぶりにお電話を頂いた方は、お勤めも辞められてお会いする機会もなかったのですが、下田の友人が絵手紙を始めたい、とのことで連絡を下さいました。苓北「ふれあいスペース如水館」に是非来てくれるようお願いしましたが、熊本と天草に住む3人の親御さんの介護でとても大変な毎日を過ごしておられるようで、彼女の体も心配です。ほかにも100歳を超す母親を姉妹で自宅で長年介護をしている方もいます。これからの自分の歩む道でもあります。くれぐれもお大事になさって下さい。


梅窓院-2

夕刻、宅急便が届いて5個のダンボールを開けて大体の整理をして食事にしました。無事に着いて天草での3週間が楽しく暮らせますように、ビールと日本酒で乾杯! 時計を見ると7時半、西の空が真っ赤に染まっています。西方浄土の話は良く聞きますが、まさにあの茜に輝く彼方の空高い極楽浄土に、み仏と共に亡き人達がましますか、と思え刻々と移り変わる夕空を茫然と眺めました。この感動は天草でこそ味わえるもの、間もなく夜の帳に包まれました。


天草最高



今月最後の正行寺の絵手紙が終わって、天草行きの準備を始めます。まず、宅急便を出してホッとしました。今回は色々あって、なんと大きなダンボールが5個にもなってしまって吃驚しました。今月の天草では、初めて高齢者学級と夏休みの児童対象の絵手紙体験講座がありますので、不安な中にも楽しみにしています。どうしたら皆さんに楽しんで頂けるか、お手伝いをお願いしたお仲間とも相談して、これからの参考にしたいと思います。

 

7月の絵手紙-3

 

今日7月1日午前9時に「うるう秒」が挿入されました。正確に時を刻む電子時計と地球の自転による天文時とのずれを調節すため、何年かに一回一日を24時間1秒にするのだそうです。日本の標準時を決める情報通信研究機構(東京都小金井市)にある時計では、普通の時計では見られない「8時59分60秒」が表示され、雨の中集まった約1000人の人達から大きな歓声が起きたそうです。普段は「8時59分59秒」の後「9時00分00秒」になるのでしょうね!宇宙の不思議さ、それを解明する人間の頭脳はどうなっているのでしょう、凄いですね!

毎月末日には門のロックの暗証番号を変えています。夜になって操作をする時、何時も今月も無事に終わって良かった、有難うございます、と感謝すると同時に次の一か月も無事に過ごせますように、と手を合わせています。先日来、103歳の書道家・篠田桃紅さんが本を出版したのを機会にテレビにもその日その日の生業が放送されていますが、歳をとってから分かることが沢山ある!とおっしゃっていますが、私も八十の長き命を与えられ、若かった時とは違った考えや想いが自覚することが出来て、毎日をとても有難い、と思っています。命ある限り明日何事が起ころうとも何の不思議もなく、今日の無事を感謝して休みます。

 

    「あみだぶと 十声唱えて まどろまん ながき眠りに なりもこそすれ」 浄土宗「秋のご詠歌」

 

天草の家-6

 

 

 

 

 

KMさんが転んで足首を骨折しました。入院して無事に手術をも終わり、リハビリをしています。複雑骨折ではなかったので回復も早いでしょう、とのこと、安心しました。手と口は達者なので退屈することもなく、歌舞伎の本を送ってくれたりして、私の方を気遣ってくれます。私も足がめっきり弱って居ますので、先日の検診の時先生に「軽いストレッチ運動をしようと思うのですが、どうでしょうか?」と尋ねたら「いいですね!でも、無理をすると関節が駄目になるからね!」と注意されました。まず、転ばないように気を付けます。

 

6月の絵手紙-1-6

 

今日は半年毎の聖路加国際病院・整形外科での股関節の検診の日です。9時半の予約で8時には家を出ました。先日、正行寺の「施餓鬼供養」で戴いたお塔婆を積み、前日からお花の用意をしてお墓参りの支度もしました。診察の前にレントゲンの撮影をして整形外科の窓口に出し、程なく診察室に入ります。何時もは黒田先生が写真を視て変りはない事、次回の検診日を決めて終わりなのですが、今回左膝の関節に痛みがあったので、再度レントゲンを撮り直しました。心配するほどの事は無く終わりましたが昼近くになりました。聖路加の食堂で昼食を済ませ、首都高「銀座インター」から「谷中」迄、谷中から霊園までもすぐです。朝方盛んに降っていた雨もすっかり止んで助かりました。谷中霊園にはそれぞれお茶屋さんがあって、お掃除や供花を忌日毎に代行してくれますので、いつも綺麗になって安心です。「坂本家」の奥様にご挨拶をして、上野の山を浅草方面に降りて行きます。中学時代の三年間は上野の山に通いましたので、昔懐かしい道です。霊園を抜けると、まず、東京芸術大学、都立美術館、国立博物館、科学博物館、寛永寺と並び、上野駅の跨線橋を渡って昭和通りに出て、浅草方面にちょっと行くと、姉が眠る「池の妙音寺」に着きます。暮れ以来のご無沙汰を詫び、丁寧にお掃除をしました。春秋のお彼岸は、天草に居ることが多いので次回は、11月の「お十夜法要」の時でしょうか。浅草松が谷から馬喰町は又、すぐです。折角なので、あれこれ買い物の為走り回りました。帰途の首都高下り線は何時もより渋滞して家に着いたのは6時半、一日掛かりましたが無事に予定を終わらせてホッとしました。主人と姉が見守ってくれたのだとのだと思います。

 

哀しい別れ-1

 

 

6月の「日経ビジネス」に「日本の医療を救え」と特集を組んでいます。その中に「初公開 病院経営力ランキング」が掲載されました。でも、これはあくまでも病院の質を問うものではなく、経営力のある病院には安心して自分や家族の命を預けることが出来る、というものであろうか、と思います。でも、それが上位10の中に熊本県の病院が3つも入って居るのには驚きました。①済生会熊本病院②熊本医療センター③神戸市立医療センター中央市民病院④石巻赤十字病院⑤東京都立多摩総合医療センター⑥沖縄県立中部病院⑦熊本赤十字病院⑧イムス葛飾ハートセンター⑨徳島赤十字病院⑩船橋整形外科病院、以下100位迄の掲載がありました。病院とのお付き合いは患者としては余りありませんが、色々な条件もありますが担当の先生との相性もかなり重要な要素の想いがあります。安心してお任せ出来る先生との出会いは患者にとって有難い存在です。日野原重明先生と稲盛和夫さんとの「魂の提言」の対談も興味を持って読ませて頂きました。

 

医療ランキング

 

 

お施餓鬼の法要にはご本尊の阿弥陀如来像とは反対側に向き合って、お施餓鬼用の祭壇が設けられます。今日の祭壇にもお米やトマトやナス、カボチャなどの野菜類等の御供物が並びます。その中に何時も天草産の晩柑が葉が付いたままお供えされています。天草の晩柑がはるばる横浜の仏さまに供えられて天草とのご縁を有難く感じました。

 

施餓鬼供養-2

 

一週間の休暇を利用して隣の姪の長男がニューヨークから帰って来ていて、毎日あちこちと駆けずり回って居ました。日曜日には帰ると云うので土曜日の夕食を恵比寿の「筑紫樓本店」の鱶鰭料理に行きました。良く飲んで良く食べて良く喋って遅くなりました。明けて彼は旅立ち、明日の「お施餓鬼法要」の準備をしました。「お布施」や「お塔婆供養」料等を用意したり、ご詠歌やお舞のお稽古もし、お舞の衣裳も夏物の絽の長着を解いてお揃いのリホーム衣裳を作りました。4月に芝の増上寺で奉納した時は3人で和服を着ましたが、今回はお扇子を使いませんので、洋服で「秋のご詠歌」のお舞を皆さんに見て頂く事になりました。檀家の人達には中々ご披露する機会がありませんので一生懸命勤めたいと思います。

 

日曜日-3

 

 

 

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