三四郎 夏目漱石  (PDF)

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 三四郎が熊本から東京ん大学に入ゃーる上京の車中じゃった。京都から乗り込うだ女に「あんたも名古屋で降りらすとなろ宿屋に案内してくだっせ。一人じゃ気びん悪かけん」と頼まれた。そん汽車は名古屋止まりじゃん。三四郎もそけ泊まる積もりじゃったばって「はあ」ちゅて生返事しといた。

 女は子持ちで、亭主が満州に出稼ぎに行たまま、生死不明ちゅて、隣ん爺さんに話しよっとば耳にしとったばって、三四郎は京大阪に近付くにつれて、女が色ん白うなってくっとに、だんだん故郷の遠うなっとん寂しゅう感じたけん、こん女ん色ん黒さに、おおこりゃ九州色ばいなて、異性ん見方ば得た気持ちにきゃあなったったネ。

 夜ん十時過ぎ、名古屋で降りたりゃ、後ろから女がちいて来る。駅前のふとか旅館の前ば過ぎて横丁のこまか宿にひゃーった。

 女は連れじゃなかちゅて断る暇もなかうち、二人はとおつ部屋に通されてしもた。三四郎が風呂にひゃーっとったりゃ「ちょこっと、流しやっしゅうかい」ちゅて裸ん女がひゃーってきたもんじゃけん、慌てて三四郎は跳びじゃーた。

 女中が床ば延べぎゃ来たばって、そりが、一つじゃもん。二つ敷くちゅうばって、蚊帳ん狭かけんちゅて、相手にせん。

 窓際で団扇ば使うとったりゃ、女は、「お先に」ちゅて、横になった。三四郎は窓際でいっそんこて、こんまま夜明かししゅうかねともおもたばって、蚊のブンブン来てどもこも凌ぎきらん。鞄からタオルば二本持ちじゃーて、蚊帳ばくぐり「失礼ですばって、私ゃ極端な神経質ですけん」ちゅて女に謝って、あいとる片一方ん敷布ば、女ん寝とる方さん端からくるくる巻ゃーていたて、布団の真ん中に仕切りば作って、そん後に、自分のタオルば敷いて寝た。

 翌朝、駅で、関西線で四日市に行くちゅう女と別るっ時、三四郎は帽子ば取って「さいなら」ちゅうた。そん顔ば女はじっと見とったばって、間はのう、「あなたはよっぽで度胸んなか方ですね」ちゅうて、にやっと笑うた。

 三四郎は、ぱんちゅて弾き飛ばされたごたる気持ちで耳ん火照った。乗り込うでこもなっとったばって、動きじゃーたりゃ、そっと窓から首ばじゃーた。女はもう遠にどこじゃい見えんごてなっとった。

 筋向かいん男が三四郎ばちらちら見とったけん何か決まりん悪かった。女ちゅうもんなあぎゃん落ち着いて平気でおらるっとじゃろかい。大胆じゃいろ、無邪気じゃろか見当んつかん。思い切って、もちっとやってみればよかったて。ばって、恐ろしか。

 そっで、最後に「度胸んなか」てやられたとは、二十三年の自分の弱点ば一遍にずばりと言い当てられたごたる。どこのだりじゃい分からん女に、こうもこっぴどくどやされたたかと思うたりゃ気が滅入った。

どうもあぎゃんうろたゆるようじゃ、駄目ばい。ばって自分にゃ、あれより他にやりようがなかった。とすれば、むやみに女にゃ近づききらんこてなる。そりもどうも意気地なしで窮屈かごたる気のする。まっで、不具にでん生まれたごて…ちゅて、三四郎はここで気ば変えて、別なこりから先んことば考えた。

東京の大学にはいる。有名な学者に接触する。趣味のよか学生と友達になる。図書館で研究をする。著作をやる。世間が喝采する。母が喜ぶ…などと勝手な未来を描いとるうちにさっきの男が自分の方を見とっとに気づいた。